My「サマー・オブ・ラブ」_夢のハーモニー

「灯りがまたひとつ消えて 窓がひとつ また眠りにつきました。 今日と明日の狭間に 夜が静かに更けてまいります。 おやすみ前のひとときを音楽でお過ごしください。」

ラウンジ・ミュージックの歴史とマンシーニと101ストリングス。


日本


前哨 ムード歌謡(1950年~)


1952年(昭和27年)の連合国の占領軍の撤退以降の日本で独自に発達したポピュラー音楽のスタイル、ジャンルのひとつ。

1950年代(昭和20年代後半)、主に連合国の占領軍(の中でも主にアメリカ軍)を相手に活動していたバンドが、東京の銀座や赤坂のナイトクラブに移り、客の要望に応じてムードのあるダンス音楽を演奏し始めたのが、「ムード歌謡」の始まりといわれる。

Wikipedia

アメリカ村住宅(名古屋白川公園)

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名古屋市は中部地方で唯一、終戦後進駐軍に占領された都市でした。観光ホテル、名古屋城、郵政局、名古屋市公会堂始め多くの施設が進駐軍に接収されました。司令部は愛知県に進駐軍下士官家族住宅として、現在の白川公園一帯にアメリカ村建設の指令を出しました。1958年 米軍より返還。(北川組HP)

高度成長期の終わり頃、白川公園近くの勤め先に通い始めたときにはまだまだキャバレーがたくさんありました。しかし数年の間に次々と閉店してしまい、一度は訪れて高度成長期華かし頃の雰囲気を味わいたかったのに残念です。


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Ricardo Santos – Perlenfischer(1954年)

ご存知、リカルト・サントスの『真珠採りのタンゴ』
実は、ウェルナー・ミューラーの演奏。日本では、1957年にヒット。


夢のハーモニー(1965年~)


夢のハーモニー

1965年、アメリカでストリングス等を中心としたインストゥルメンタルポップスが「イージー・リスニング」とネーミングされます。

ちょうどこの年から、

NHKラジオの23時台に『夢のハーモニー』という番組が放送されていたことを記憶している方も多いと思います。これは当時流行り始めていたイージーリスニング(ムード音楽)を特集していました。

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60年代後半から80年代初頭まで、日本ではブラスやストリングスのフルオーケストレーションのムード音楽が人気を集め、マントヴァーニやフランク・チャックスフィールド、ウェルナー・ミューラー、パーシー・フェイス、フランク・プゥルセル、レイモン・ルフェーブル、カラベリ、ポール・モーリアなどのオーケストラが活躍。

ほかに、ピアノをフィーチャーしたフェランテとタイシャー、リチャード・クレイダーマン、ピエール・ポルト、スティーブン・シュラックス、フランク・ミルズ、また、ブラスを前面に押し出したベルト・ケンプフェルトやジェームス・ラスト、ハーブ・アルパートとティファナ・ブラスも有名でした。


音楽のタイムマシン


なぜ自分が生まれた頃の曲を知っているのかといえば、当時の流行は現在と違ってゆったりとしたものでした。この番組でも幅広い年代のムード音楽が紹介されていましたので、

10年以上前の生まれた頃に流行った、自分の知るはずもない50年代の曲も『夢のハーモニー』でよく知る曲となったのでした。

Mantovani And His Orchestra – Charmaine(1958年)

初めて触れた外国のエレガントな音の雰囲気が気に入って、気がつけばイントロだけで曲名と演奏オーケストラが分かるようになっていました。


しかし、奏でられる音色には好みがでるもの。

いろんなオーケストラを聞込んでいった自分の場合、次第に重厚弦楽音の「101ストリングス」とリアルサウンドエフェクトの「ミスティック・ムード・オーケストラ」に絞られていきます。

101ストリングス(1957年〜)

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101 Strings – The Soul Of Spain(1958年)

これは101ストリングス初期のヒット作。


イージー・リスニング大流行(1970年代〜)


恋はみずいろ – ポール・モーリア・グランド・オーケストラ(1967年)

イージー・リスニングの代表曲といえば、やはり誰でも知っているのがポール・モーリアのこの曲。『恋はみずいろ』(1968年:日本)

その後『蒼いノクターン』(1969年)『エーゲ海の真珠』(1971年)『涙のトッカータ』(1973年)『オリーブの首飾り』(1975年)など毎年のようににヒットを重ねました。この頃が日本でのイージー・リスニングブームの頂点だったと思います。

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イージー・リスニングをもっとおさらいしたい方は、このサイトがよくまとめているようです。

仕事場などで何気に流れているBGM。主に利用されるイージー・リスニング音楽って、実は意外と奥が深~いんです!!


アメリカ


ラウンジ・ミュージック(1950年代〜)

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元々、イージー・リスニング(ムード音楽)はラウンジ・ミュージックのサブジャンルのひとつ。


Jackie Gleason – Music, Martinis, and Memories(1954年)

ラウンジ・ミュージック自体は古くからある音楽ジャンルで、ホテルのラウンジやカフェでかかる音楽、つまりそこに集う人々の会話や社交を邪魔しないムード音楽やそこから発展した比較的ゆったりとした曲調の心地良い音楽のこと。

その起源はブルースやカントリーの影響を受けて生まれたロックンロールとは異なり、スウィング・ジャズ時代の流れを汲み、ワールド・ミュージックなどの影響のもとに1950年代頃に生まれました。



裏窓(1954年)

当時の雰囲気ってこんな感じだったのしょうか。最高ですね。

<ヘンリー・マンシーニ>

1954年の『グレン・ミラー物語』以来、映画音楽でたいへん有名なヘンリー・マンシーニですが、代表曲以外でもいいアレンジの曲を多く見つけることができます。


Henry Mancini – Peter Gunn(1958年)

当時のラウンジ・ミュージックに含まれる代表的なサブジャンルには他に

「エキゾチカ」「スペース・エイジ・ポップ」

などがあり、多くはインストゥルメンタルでしたが、別にボーカルやコーラスも含まれることがあります。


エキゾチカ(エキゾチック・サウンド)

鳥やカエルなどの動物の鳴き声をまねて彩りを加え、オセアニアの島々やハワイなどを欧米の白人から見た「南国の楽園」として理想的にイメージした音楽で、異国風な音楽要素を取り入れたオーケストラまたはジャズで、基本的にはインストゥルメンタルでした。

レス・バクスター


Les Baxter & His Orchestra – Quiet Village (1951年)

レス・バクスターのアルバム『RITUAL OF THE SAVAGE』に収録された『QUIET VILLAGE』はエキゾチック・ミュージックのスタンダードとなり、様々なミュージシャンにカヴァーされています。

マーティン・デニー


Martin Denny – Exotica (1956年)

「エキゾチカ」という名前はマーティン・デニーの同名アルバム(1956年)に由来しています。

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エニグマやディープ・フォレストに出会う直前の1991年に手に入れたエキゾチカを紹介したのCD。懐かしき昭和の頃の異国情緒満載でワールド・ミュージック・コレクションの棚にあります。

時代の雰囲気を読み取るのが上手なハリウッドで1958年に映画化されたのが『南太平洋』。


Bali Ha’i – Juanita Hall ‘s own voice – South Pacific

多分、みんなこんなイメージを求めていたのでしょう。

<ヘンリー・マンシーニ>


Henry Mancini – Driftwood and Dreams(1957年)

数多くの映画音楽を手がけたヘンリー・マンシーニがリバティで発表した唯一のエキゾチカ・ミュージック。

<101ストリングス>

ところで、あの101ストリングスもエキゾチカに参戦していました。


101 Strings – Ode To Billie Joe(1967年)


Les Baxter & 101 Strings – Que Mango!(1970年)

レス・バクスターの「Quiet Village」から20年後、レス・バクスターと101ストリングスが共演。「エキゾチカ」も随分洗練された感じになっています。

これ大好き。


この頃の日本では

ちなみに同じ頃、日本人が感じたエキゾチックのイメージはオリエンタル(中央・南アジア)でした。


1954年(昭和29年)CMソング『オリエンタルカレーの唄』

なつかしい なつかしい あのリズム
エキゾチックなあの調べ
オリエンタルの 謎を秘め
香るカレーよ 夢の味
ああ 夢のひと時 即席カレー
君知るや 君知るや
オリエンタルカレー

このCMソングを聴くたびに、精肉店のまえで未知なるオリエンタルへの憧れで不思議な気持ちになった少年時代を思い出します。

どうやら「エキゾチック」は1950年代後半の世界的トレンド・ワードだったようです。


スペース・エイジ・ポップ


プリペアド・ピアノ奏法_Wikipedia

スペース・エイジ・ポップは、1950年代と60年代の好調な戦後経済と技術ブームを基調とした楽観主義や人類の宇宙への挑戦に刺激を受けたメキシコとアメリカの作曲家やソングライターが活躍した音楽ジャンルで、1970年代から始まるスペース・ミュージックの先駆けとも見なされることもあります。

スペース・エイジ・ポップは、スタイル、リズム、構図、アレンジなど様々なアプローチを取っていますが、いくつかの特徴もあります。

例えば、暖かみと色をサウンドに適用するために弦楽オーケストラの使用やラテンパーカッションと組み合わせるなど。アルバムカバーには、スペースやモダニズムのテーマがよく見受けられます。

エスキベル


Esquivel – Other Worlds Other Sounds(1958年)

さらに、このジャンルはコンセプト・アルバムやマルチチャンネル・サラウンド・サウンドの採用などいくつかの点で音楽に革新をもたらしました。


Ferrante & Teicher – Soundproof(1958年)

夢のハーモニーでは華麗なピアノ・デュオを聞かせてくれたフェランテとタイシャーですが、スペース・エイジ・ポップでも音色を打楽器的な響きに変えたプリペアド・ピアノ奏法で活躍していたのですね。

イノック・ライト


Enoch Light – Presents Spaced Out(1969年)

イノック・ライトのバカラック&ビートルズ・カバー集。FREE DESIGN による美しいコーラスとMOOGをちりばめたサウンドで人気の一枚。

<101ストリングス>


101 Strings ‎- Astro Sounds from beyond the year 2000(1969年)

これはなんと、あの101ストリングスのスペース・エイジ・ポップ。

ということで、

スペース・エイジ・ポップのことなら、やっぱり昔からあるこのサイト。

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ラウンジ・ミュージックは不滅

イージーリスニング・ブームの終焉(〜1979年)

イージーリスニング・ブーム自体は 1979年にビルボードのチャート部門名が「アダルト・コンテンポラリー」に変わった頃に終焉を迎えます。

しかしラウンジ・ミュージックというジャンルが終わったわけではなく、1980年代と90年代には、ムード・ミュージックを楽しんでいた親世代の影響下にあったその子供達によって、エキゾチカ、ライトジャズ、イージーリスニング、ノスタルジアなどを広くまとめた、「ラウンジ」というジャンルとして再び支持を集めます。


本日一曲

いまでも印象に残るこの曲は、ヘンリー・マンシーニによるニュー・エイジ・ミュージックの先駆けではないでしょうか。


Henry Mancini – Nadia’s Theme(1976年)

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