My「サマー・オブ・ラブ」_ラウンジからの60’s

60年代には大きな文化的トピックスがいくつも現れて、ラウンジ・ミュージック流行と平行してカウンターカルチャーに影響されたさまざまなスタイルの音楽が生まれ広がりました。

これは、1955年生まれのラウンジ・ミュージック好みの自分を通りすぎていった60年代ポピュラー音楽の記憶。


多彩な音楽揺籃期(1960年代)

スプートニク・ショック_宇宙時代の幕開け(1957年)

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1950年代の科学分野で印象に残っているのは、1957年の人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ。(といっても、まだ生まれたばかりで実感はないのですが)

その成功は西側諸国の人々はスプートニク・ショック(Sputnik crisis)を受け、米ソの宇宙開発競争が開始されるなど人々に大きな影響を与えた出来事でした。


The Tornados ~ Telstar(1962年)

人々は宇宙に関心を示すようになり、テレビ番組やファッション、デザイン、ロードサイドの広告看板などにもロケットブームや宇宙ブームが波及した。1960年代には「スペース・エイジ」を反映した銀色のメタリックな商品やデザインが席巻しました。

 


モータウン・サウンド(1960年〜)

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ベリー・ゴーディ・ジュニアによって設立されたアフリカ系アメリカ人が所有するレコードレーベルとして、ソウルミュージックやブラックミュージックを中心に据えて、1960年から1969年の間、Billboard Hot 100のトップ・テンに79曲もランクインし、クロスオーバーで大成功をおさめます。


The Marvelettes – Please Mr. Postman(1961年)

1960年代初期、チャックベリーとリトルリチャードのような50年代の主要なロックンロールスターがチャートから消え、米国の人気音楽はモータウンのガールズグループとノベルティ・ポップソングが主流となっていました。

 


ウォール・オブ・サウンド(1961年〜)

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レコード・プロデューサーのフィル・スペクター(Phil Spector)が立ち上げたポップミュージック・プロダクションの音作りは、ウォール・オブ・サウンド(Wall of Sound)として知られ、オーバーダビングを何度も繰り返して作られた重厚な音で非常に斬新なものでした。


The Ronettes – Be My Baby(1963年)


Righteous Brothers – Unchained Melody(1965年)

スペクターのウォール・オブ・サウンドは、単純で軽快なポップ音の代わりにもっとメロドラマティックな音でテーマを強調しました。この手法は1965年以降の人気の高い音楽の高度化に不可欠なものとなりました。

 


ニューヨーク万国博覧会(1964年)


ニューヨーク万国博覧会(1964年)_Wikipedia

以後アメリカはベトナム戦争や公民権運動、カウンターカルチャーに揺れ始め、夢や希望に溢れた未来像は破綻していき、1964年万博は大企業がフロンティアや未来を謳うことが有効だった最後の博覧会となったと評価されている。

Wikipedia

 

当時はこんなTV番組を観ていましたっけ。


Lost In Space – Dr. Smith Vs The Robot

スペース・エイジのTV番組だった『宇宙家族ロビンソン』(1965年~1968年)は、あんまりカッコよくなかったけれど面白かった。

 


ボサノバの流行(1964年~)


ORFEU NEGRO – Canzone di Orfeo(1959年)


Astrud Gilberto & Stan Getz – The Girl From Ipanema(1964年)

アメリカで「ボサノバ」が流行。

 


ブリティッシュ・インヴェイジョン(1964年~)

1964年のビートルズのアメリカ上陸以降、イギリスのロック・バンドがアメリカで巻き起こした新しいPOP旋風。


The Beatles – She Loves You [HD]

60年代初頭の米国のチャートから消えていたロックンロールはヨーロッパで生き延び、特にイギリスはその中心となっていました。1963年後半、ビートルズは初めての米国ツアーを行い成功を収めます。その後キンクス、ザ・フー、ハーマンズ・ハーミッツ、デイブ・クラーク・ファイブ、アニマルズなどが続き、アメリカのポピュラー音楽界にイギリス旋風を巻き起こします。

 


 

このあたりからはっきり記憶に残るリアルタイムの音楽体験となります。

 


「イージー・リスニング」というジャンル名の登場(1965年〜)

「イージー・リスニング」という名称は、1965年ニューヨークのラジオ局WPIX-FMの音楽を説明するためにクロードホール(Claude Hall)によってネーミングされたのが始まり。


Raymond Lefevre & Orchestra – La reine de Saba(1967年)

 

イージーリスニング(ムード音楽)は50年代にマントヴァーニ・オーケストラなどのムード音楽の人気が広がり、続く60年代初頭にはパーシー・フェイス楽団やビリー・ボーン楽団によってインストゥルメンタルの曲が大流行、さらにポール・モーリア、レイモン・ルフェーヴル、フランク・プゥルセル、カラベリなどのオーケストラの台頭により、ムード音楽は「イージー・リスニング」と呼ばれるようになります。そして1966年に「恋はみずいろ」が世界的にヒットして全盛期を迎えました。

MY「サマー・オブ・ラブ」_夢のハーモニー


「ロック」というジャンル名の登場(1965年〜)

1960年代後半、ロックンロールが進化してその枠を壊し、新たなサウンドが生まれ、それらのサウンドの総称として「ロック」という言葉が使われ始めます。


The Beach Boys – Good Vibrations(1966年)

 

60年代初期には南カリフォルニアを中心にビーチやサーフィンのテーマに基づいたサーフ・ロックが登場。ビーチ・ボーイズがすぐに最高のサーフ・ロック・バンドになりました。サーフ・ロックは1963~65年頃にピークを迎え、徐々にカウンターカルチャーの動きに影響を受けるようになります。

 


モントレー・ポップ・フェスティバル(1967年)

ここからヒッピーが主導したカウンターカルチャーが世代を超えて広く認知された1960年代の文化的エポック。

My「サマー・オブ・ラブ」_エウレカセブン_SUDAREの部屋

この1967年には様々な名曲が集中リリースされています。

•  プロコル・ハルム 「青い影」
•  フランキー・ヴァリ 「君の瞳に恋してる」
•  グレン・キャンベル 「恋はフェニックス」「ジェントル・オン・マイ・マインド」
•  ビートルズ 「ペニー・レイン / ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」
•  ヴァニラ・ファッジ 「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」
•  タートルズ 「ハッピー・トゥゲザー」
•  サイモン&ガーファンクル 「動物園にて」「フェイキン・イット」
•  ビージーズ 「ラヴ・サムバディ」「マサチューセッツ」「ニューヨーク炭坑の悲劇」
•  ザ・モンキーズ 「デイドリーム」「恋の合言葉」「モンキーズのテーマ」
•  ポール・モーリア 「恋はみずいろ」
•  スコット・マッケンジー 「花のサンフランシスコ」
•  フィフス・ディメンション 「ビートでジャンプ」
•  ムーディー・ブルース 「サテンの夜」
•  ボビー・ヘブ 「サニー」


Glen Campbell – By The Time I Get To Phoenix


Richard Harris – MacArthur Park(1968年)

まさにビックバンのように、新しい音楽表現で多彩なジャンルが生み出され広がり始めると同時に、互いに影響し融合(フューズ)させる試みも始まりました。

 


CTIレコード(1967年〜)


Hubert Laws ‎- Afro-Classic(1970年)

 

プロデューサーのクリード・テイラーによって創設されたジャズ・レコードレーベル。テイラーのコンセプトはジャズの大衆化であり、題材としてクラシック曲や、同時代のソウル・ミュージックも積極的に採り入れジャズにアレンジした。その成果としてCTIはクロスオーバー(フュージョンの前身)のブームに先鞭をつけた。

Wikipedia

 


 

その後のフュージョン・ミュージックの流れに大きく影響したのはエレクトリック楽器と音響・録音技術の進化かもしれません。それはデジタル化とともにさらに進行し現在に至ります。

 


エレクトロニクス・ミュージック


Ligeti – Artikulation(1957年)

電気的に生成された音による作曲の試みがケルンの電子音楽スタジオで始まり、シュトックハウゼンによって世界最初の電子音楽である『習作I』(1953年)が作曲されました。後にハンガリーから亡命したジェルジ・リゲティも参加して「ミクロポリフォニー」と呼ぶ手法で書かれた『アトモスフェール』(1961年)は、現代音楽史に残る作品となりました。


『2001年宇宙の旅』(1968年)

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ここで、おなじみの『2001年宇宙の旅』(1968年)の登場。

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50年間手元にある当時のパンフレット。眺めるたびに当時の感動を思い出します。

『2001年宇宙の旅』にはリゲティの

『アトモスフェール』
『ソプラノ、メゾ・ソプラノ、2つの混声合唱と管弦楽のためのレクイエム』
『ルクス・エテルナ(永遠の光を)』
『レクイエム』
『アヴァンテュール』

などの曲が使用されました。

ここに自分の求めていた曲と出会い、同様なサウンドを探し求めて「スペース・ミュージックへの旅」を始めることになります。

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その頃手に入れたカラヤンの『惑星』(1961年)。それなりに雰囲気はあったのですが、自分のイメージしていたスペース・ミュージックとは違いました。

ただタンジェリン・ドリームの『アテム(Atem)』に出会う1973年までの 5年間はイメージするような曲に巡り合えず、新旧含めた洋楽ポップスを聴き漁る日々を過ごし始めます。

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Tangerine Dream_Atem (1973年)

同時にこの頃から、『2001年宇宙の旅』と同じ年に出会った「ザ・ミスティック・ムード・オーケストラ」は別にして他のイージー・リスニングからは別れを告げます。

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ミスティック!! サウンド・オブ・サイレンス(1968年)

 


月面着陸(1969年)

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人類史上初の月面着陸は、アメリカ合衆国のアポロ11号計画における船長ニール・アームストロングと月着陸船操縦士エドウィン・オルドリンによるものだった。1969年7月20日、司令船操縦士マイケル・コリンズが月周回軌道上の司令船コロンビアで待機する中、二人の乗り込んだ月着陸船イーグルは司令船から切り離され、7月20日午後4時17分(東部夏時間)、月面に着陸し21時間30分滞在した。

Wikipedia

 


ウッドストック・フェスティバル(1969年)


35 WOODSTOCK PHOTOS THAT WILL TAKE YOU BACK TO 1969

ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は、1969年8月15日ニューヨーク州ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に、1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれています。

 


フィラデルフィア(フィリー)・サウンド
(1970年)


The O’Jays – Back Stabbers(1972年)


The Stylistics – Can’t Give You anything but My Love(1973年)

1971年にケニス・ギャンブルとリオン・ハフによるプロダクション・チーム「ギャンブル&ハフ」により設立されたのがフィラデルフィア・インターナショナル・レコード。ストリングスを要した華麗で柔らかく甘めのサウンドが特徴。それまでのソウル、R&Bをより洗練された都会的雰囲気のサウンドに変貌させました。

これをストリングスをフューチャーしたサウンドとして、イージーリスニング的に聴いていました。

 


本日の一曲

バートバカラックの名曲「ウォーク・オン・バイ」をダイアナ・クラールでどうぞ。

Diana Krall – Walk On By

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