カッシーニのグランドフィナーレ

4月26日から最後の任務として再度土星に接近観測後、今年の9月15日に土星の大気圏に突入して運用終了する土星探査機カッシーニ。

20170416_01-2017-04-16-13-05.jpg

カッシーニによるリアルな画像が届けられる度に思い起こされるのは、すでに50年前の映画となった『2001年宇宙の旅』。

はじめて観たときの感動と映像表現のすばらしさが何度も蘇りました。

20170416_14-2017-04-16-13-05.jpg

同時に、はるか昔から人間のスケールでは及びもつかない世界が、実際に厳然と存在していることを再び心に刻んで、自分の人生を振り返ったり。

そんなカッシーニとも、もうすぐお別れです。


NASA at Saturn: Cassini’s Grand Finale

1997年 打上げ

20170416_02-2017-04-16-13-05.jpg

カッシーニ(Cassini-Huygens)は、アメリカ航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)によって開発され、1997年に打上げられた土星探査機。


2001: A Space Odyssey- Blue Danube

それは「ジョブズの Apple 」がスタートした年でした。

20170416_03-2017-04-16-13-05.jpg

(1997年、ジョブズが Apple に復帰。そして翌年 iMac の発表。)

この頃 Apple は業績低迷と次期OSを巡っての大波乱状態でした。このまま倒産して無くなってしまうかもと、ハラハラしていたときのジョブズ復帰。この年から「ジョブズの Apple」の大躍進が始まりました。

2000年 スイングバイ

20170416_06-2017-04-16-13-05.jpg

スイングバイは天体の公転運動を利用することで宇宙機を増速あるいは減速すること。

カッシーニは2000年に木星でスイングバイを行ない土星軌道に向かいました。

20170416_04-2017-04-16-13-05.jpg

2001: A Space Odyssey – Mission to Jupiter

『2001年宇宙の旅』の映画版では目的地は木星ですが、小説版では土星に変更されて、同じく木星で重力によるスイングバイを行なっています。

新しい Mac OS もスイングバイ開始。

20170416_05-2017-04-16-13-05.png

(2000年 9月、Mac OS X Public Beta の発表。)

2004年 土星軌道に投入成功

20170416_08-2017-04-16-13-05.jpg

カッシーニの土星周回軌道

20170416_07-2017-04-16-13-05.gif

あなたには右回転に見えますか? 左回転に見えますか?

(たぶん右回転に見えていると思いますが、じっと見ていると左回転を始めることもあります。)

これはシルエット錯視と呼ばれる錯視のひとつで、画像に奥行きの基準となるものが存在しないと生じるそうです。

メタンの霧雨_衛星タイタン

20170416_09-2017-04-16-13-05.jpg

カッシーニは土星の第6衛星タイタンにホイヘンス探査機を放出。その着陸が成功して、大気の組成・風速・気温・気圧等を直接観測することができました。

メタンの霧雨

20170416_10-2017-04-16-13-05.jpg

その結果、タイタンの上空には目視が困難なほどの薄い雲が2層存在し、その内下層の雲からはメタンの霧雨が降っていることが明らかに。

ところで、メタンの霧雨煙る風景ってどんな感じなのでしょうか。

20170416_16-2017-04-16-13-05.jpg

氷のプルーム_衛星エンケラドス

20170416_00-2017-04-16-13-05.jpg
20170416_11-2017-04-16-13-05.jpg

土星の第2衛星エンケラドスが氷のプルーム(立ち上る煙状のもの)を活発に吹き上げていることを発見。地球外生命が存在が期待されています。

20170416_12-2017-04-16-13-05.jpg
エンケラドスの間欠泉

地球外生命体

米航空宇宙局(NASA)は2017年4月13日、木星の衛星エウロパと土星の衛星エンケラドスについて、地球外生命が存在できる可能性が特に大きいことを裏付ける新たな証拠が見つかったと発表した。特にエンケラドスは、生命に欠かせない要素がほぼ全てそろっているという。

CNN

エウロパ・リポート
(エウロパは土星ではなく『木星』の衛星です。)

20170416_15-2017-04-16-13-05.jpg

小説版『2010年宇宙の旅』での第二部「チェン」

中国の宇宙船チェン号が推進剤としての水を補給するために木星の衛星エウロパへの着陸。作業中にエウロパに生息していた生命体による妨害に遭い全滅。

なぜか映画版では省かれたこのパートは、小説版『2010年宇宙の旅』で特に印象に残っています。同じ思いを持った読者も多かったようで、2013年に映画化されています。


Europa’s fatal monster(Europa Report MV)

2017年9月15日 グランドフィナーレ

20170428_01-2017-04-16-13-05.jpg

4月27日、宇宙観測史上初めて土星の輪の中に突入する任務を開始しました。これから週に1度のペースで輪の中に入り、最終的には22回の土星接近を行います。

グランドフィナーレ

20170416_13-2017-04-16-13-05.png

そして 9月には、20年にわたるカッシーニの観測は、今年カッシーニ本体を土星の大気圏に突入することで終了します。

土星の大気圏に突入して燃え尽きる、その最後の瞬間にカッシーニが発信するメッセージは、約1時間後に地球に届く予定です。

2010 Odyssey – Jupiter Ignition (Final scene)

20年という歳月は、記憶を微かな断片に変容させるのに十分な時間。終わりが見え始めると、別れの感慨もひとしおです。


本日の一曲

またしても、心に浮かぶのは方丈記の一節。

月かげは 入る山の端も つらかりき
たえぬひかりを みるよしもがな


Mars Lasar ~ Moonlight Cove

そもそも一期の月影傾きて餘算山の端に近し。

たちまちに三途の闇に向かはむ時、何のわざをかかこたむとする。佛の人を教へ給ふ趣は、事に触れて執心なかれとなり。

いま、草の庵を愛するも科(とが)とす。閑寂に著するも、障りなるべし。いかが用なき楽しみを述べて、空しくあたら時を過さむ。

静かなる曉、この理(ことわり)を思ひ続けて、自ら心に問ひて曰く、

世を遁れて山林に交わるは、心を修めて道を行はんがためなり。然るを汝が姿は聖(ひじり)に似て、心は濁りに染(し)めり。住処(すみか)は則ち淨名居士の跡を汚せりといへども、保つ所は僅かに周梨槃特(しゅりはんどく)が行いにだに及ばず。もしこれ、貧賤の報いの自ら悩ますか、はたまた、妄心の到りて狂せるか。

その時、心更に答ふることなし。

ただかたはらに舌根をやとひて、不請の念佛、両三遍を申して止みぬ。


時に建暦の二年、弥生の晦日(つごもり)ごろ、
桑門蓮胤、外山の庵にしてこれを記す。

方丈記 鴨長明

My life, like the waning moon, is about to finish.

The remaining days are few. Soon the Three Ways of the Hereafter will begin. The acts of my whole life may be criticized. An important Buddhist teaching is not to form attachment to anything of this world.

I now feel that it is a crime to begin to love this hermitage so much. I have also persisted in the silent life here, that may become an obstacle to salvation too, perhaps. Why am I wasting time speaking about this worthless happiness with so little time remaining? This is not the thing to do.

Thinking about this at dawn after a quiet night, I try to give vent to my own heart facing these questions.

Chomei, by trying to escape from the world by going to the mountains and forests this way, to put the disorder of your heart into order is a Buddhist practice. And yet, while trying to become a pure monk, your heart remains tainted by impurity. By living in a ten-foot hut in imitation of the Jomyo Buddhist layman Yuima, even if you are given the benefit of the doubt, you have not realized the practice of Shuri Handoku. When you perhaps do by chance, doesn’t your karma’s punishment worry you? Or again, by reckless judgment, not becoming more intelligent you grow worse by this, grow crazy. What do you think?

When I ask myself like this, my heart cannot answer. I have no answer.

There is one way remaining. I continue to move my tongue, but I am unable to welcome the celebration of Amida Nurai. I only chant two or three times. That is all.

It is now Senryo Two (1212), the end of March. I have become a priest. I remain in Hino’s Toyama hut, and am writing this letter.

THE HOJOKI (MY TEN-FOOT HUT)

Hojoki_Washburn University

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中