水木しげる作品と少年時代_1965年

1965年(昭和40年)小学校5年


Righteous Brothers – Unchained Melody(1965)

貸本漫画

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床屋さんと貸本

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それは月に一度の(小学生にとって)異次元の世界を垣間見る時間。

当時、行きつけの「床屋さん」にはたくさんの貸本漫画が置いてあり、散髪中だけでなく終わってからも読み続けていました。そのなかにはいわゆる描線の多いリアルタッチな画風の「劇画」も数多くあり、次第にその世界に魅了されていったのです。

その「床屋さん」のおじさんも今年 9月に亡くなってしまいました。

W3事件(1965年)


『スーパージェッター』1965年
 

『宇宙少年ソラン』(うちゅうしょうねんソラン)1965年
 

『W3』(ワンダースリー)1965年
 

劇画との闘い_手塚治虫

1958年頃より、各漫画誌で桑田次郎、武内つなよし、横山光輝などの売れっ子漫画家が多数出現しており、この時期の手塚は人気面ではそのような漫画家たちのうちの一人に過ぎなくなっていた。さらに手塚を脅やかしたのは、この時期に新らしく登場してきた劇画の存在であった。社会の闇をストレートに描く劇画の人気は当時の手塚を大いに悩ませ、階段から転げ落ちたり、大阪の劇画作家の拠点に押しかけ、集会に参加したりした。

当初は劇画の雑誌にも連載を持つなどしていたが、手塚のアシスタントまでが貸本劇画を何十冊も借りてくるようになると、手塚はノイローゼに陥り、精神鑑定も受けたという。またすでに、1957年には『黄金のトランク』(『西日本新聞』連載)で劇画風のタッチを試みるなどしており、次第に劇画の方法論を自作に取り入れていくようになる。

1965年、当時の業界トップ漫画家であった手塚治虫がいわゆる「W3事件」で「週刊少年マガジン」の連載を降板するという事件が起こる。 編集長の内田勝は手塚の抜けた穴を埋めるべく、貸本劇画で活躍していた劇画作家に執筆を依頼。これらの劇画は読者の高い支持を得て、1967年1月にはついに発行部数100万部を突破。以降、マガジンは劇画路線を推進していくことになる。

Wikipedia

この頃水木先生の周辺では、

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15 チャンス到来!?
16 来るべき時が来た

自分の知らない大人たちの世界ではいろいろあったようですが、鉄腕アトムで育ったTVアニメ第一世代の子供としても、ステレオタイプのお子様向けマンガやアニメにはもう飽き飽きしていました。一世を風靡した手塚治虫ワールドも時代の流れに埋没しつつあったのでしょう。

子供向けの劇画漫画の時代はすぐそこに来ていました。

少年マガジン『墓場の鬼太郎』(1965年 8月)

そして1965年 8月、劇画路線を推進していた『週刊少年マガジン』で『墓場の鬼太郎』の「手」が読み切り掲載されました。

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これが、記念すべき自分と水木しげる先生との出会いの作品。

読み切りとは知らず、次の号には水木しげるの名はありません。狐につままれた気分だったのを覚えています。

1965年32号 – 1966年41号 『墓場の鬼太郎』(不定期掲載、1966年15号-26号間は集中連載)

やっと読みたかった漫画に会うことのできた感動に何度も読み返したものでした。

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「の」の法則

タイトルに「の」の字が入っていることが多く、これが宮崎駿が監督した映画のヒットの秘訣であるといわれています。

少年マガジンに掲載された鬼太郎は、貸本版の『墓場鬼太郎』から「の」を入れた『墓場の鬼太郎』というタイトルに変更されています。その後「墓場」から「ゲゲゲ」にタイトル変更されたアニメ版にも「の」は残されます。

実は、この『ゲゲゲの鬼太郎』こそ「の」の法則が発動した最初のヒット作品なのではないでしょうか。

別冊少年マガジン『テレビくん』(1965年 8月)

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同じ頃、「子ども向けのかわいい絵柄」に変えるのに苦労しますが、別冊・少年マガジンに『テレビくん』が掲載。

「かわいい絵柄」とはいえ、やはり劇画出身。手塚治虫ほど幼稚にデフォルメされず、それなりに大人っぽさの味わいが残されていました。

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不思議の世界を体験するには、やはり信じることですね。

この『テレビくん』は、第6回講談社児童まんが賞を受賞します。

以降、多くの大手出版社から仕事の依頼が来るようになり、この時期を境に貸本から雑誌へ完全に移行したそうです。

背景に細密画が登場するようになったのは、その後に作品が TV に登場してアシスタントを雇えるようになってからだそうで、このキャラクターと背景画の対比が水木作品の魅力のひとつとなっていきます。

石森章太郎『マンガ家入門』(1965年)

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この時期、小学生の豆漫画家たちが熱狂したのがこの石森章太郎『マンガ家入門』。

小学生の間ずっと絵の塾に通っていましたので、絵には多少の自信があり、この本を読んで漫画家になろうと決心したこともありますが、水木流の背景の難しさに簡単に挫折しました。

B紙

内容を熟読「さあ今日からマンガ家になるぞ。」とまずは道具を用意。

親父からもらった高級UNI鉛筆のちびたヤツ
墨汁とクロインクと白のポスターカラー
ペンとペン軸
これも親父からもらった、錆びたお古を磨きあげたの烏口。
竹の30cmものさし。
消しゴム

そして

模造紙かケント紙

ん?ところで「模造紙」って。

地元の東海地方では模造紙のことをB紙(びーし)と呼んでいて、模造紙が何か分かりませんでした。結局、模造紙というのはB紙のことと分かったのですが、ぺらぺらしていて描きにくそうでしたのでケント紙のほうを用意。

烏口

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オイラのくちばしがどうしたって?

水木流に「絵」を中心に書きたかったので、ほとんど適当なストーリーを考えて大きくコマ割り。

そして、はじめての枠線を烏口で引くという作業。ところがこれが大変。

透明なプラスチック片にインクを付けて、烏口の割れ目に満たします。それから烏口をものさしに添わせて移動させます。ところが何度やっても、毛細管現象でものさしと紙の隙間にインクが吸い込まれ、にじんでしまいます。ものさしも墨汁で真っ黒。

結局、ものさしに少し浮くように足を付けてなんとか枠線は引けました。

こんなことまだ覚えているなんて、よほど苦労したようです。
 

定規と物差し

定規とは線を引くためのもの。 ものさしは長さを測るためのもので、端から目盛りが始ます。釘を使わず、木と木を組み合わせて作られた家具・建具・調度品のことを指物(さしもの)といいますが、その語源は「物差しで計って正確に作る」ことで、差し込んで作ることから。

挫折

さて、本題の墨入れです。鉛筆でラフに描いた絵にペンで書き込んでいきます。水木流に細密画のように点描写で立体感を表現していきます。

てんてんてん。てんてんてん。てんてんてん。てんてんてん。

がんばってこの作業を一週間やったのですが、完成せずにあきらめました。同時に漫画家になることも。

少年少女世界の名作文学シリーズ(1965年)

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印象に残っているのは収録作品の内容もさることながら、やはり箱やカバー、表紙といったその外観と前回書きましたが、水木作品に繋がるもっと重要なことがあります。

それは「挿し絵」。

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池田浩彰や伊藤彦造、玉井徳太郎、山中冬児、久里洋二、伊勢谷邦彦、蕗谷虹児など一流のメンバーの挿し絵が掲載されていたのです。

挿し絵を見て内容を理解するというよりも、緻密な線画や画家らしいタッチの挿し絵から勝手に物語を膨らますことが多かった気がします。これは水木作品の味わい方と似ていました。

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蕗谷虹児

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久里洋二

この挿し絵画家のみなさんの作品は、失礼ながらもうひとつの「劇画」だったような気もします。

そして東洋文学との出会い。

44.東洋編ー3:伊藤貴麿/編 西遊記(呉承恩 原作)・古典短編集・宝のひょうたん(張天翼 原作)・現代短編集(1965)

46.日本編ー2:福田清人/編 太閤記/謡曲狂言物語/太平記/醒睡笑(策伝 原作)/椿説弓張月(滝沢馬琴 原作)(1965)
 
 
 
 
 

1965年、それは水木作品と初めて出合った年。

そして『2001年宇宙の旅』との出逢いまであと 3年。

 
 
 
 
 
1965年→
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アクリル絵の具の世界


Behind the scenes at Liquitex HQ

透明感のある世界への憧れだったのでしょう。

その後、1968年に講談社の美術の総合通信教育スクール「フェーマススクールズ」の会員となって、日本での販売が始まったリキテックスの未来っぽいアクリル絵具で絵を描くようになりました。

「リキテックス画よりも普通の描き方を」と先生によく評されましたが、アクリル絵の具の透明な世界からの誘惑に勝つことはできませんでした。

その世界は『2001年宇宙の旅』で描かれたエレガントで滑らかなタッチの画像と共通するものがありました。

やはり『2001年宇宙の旅』の公開された1968年は転機の年だったようです。

伝説のバイブル iBooks に登場。

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石森章太郎の最高傑作といわれる初版から50年を過ぎた『マンガ家入門』。今でも人気なこの本がきっかけで、また明日のマンガ家たちが育つのでしょう。

1988年 再編集版登場。

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1965年発行の「マンガ家入門」と翌年の「続マンガ家入門」を再編集した『石ノ森章太郎のマンガ家入門』

1998年 文庫本に登場。

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10年後、文庫本化。

2014年 iBooks に登場。

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50年の時が流れて、とうとうデジタルブック化されました。

既視感

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「リング」のこのシーンに「テレビくん」を知らない若い観客はショックを受けたと思います。

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ところが「テレビくん」を知る水木ファンにとっては既視感。

原作に無くて映画化の時に演出家によって加えられたシーンということですから、どうも演出家の方の年代も近いようで、どこかで読んだ「テレビくん」の残像がよぎったのかも。

瓢箪から駒

『貞子vs伽椰子』まさかの映画化実現

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『リング』シリーズの貞子と『呪怨』シリーズの伽椰子というジャパニーズホラーの2大最恐キャラクターが共演・対決する映画『貞子vs伽椰子』が、山本美月を主演に迎えて公開決定。2015年4月1日に、1日限りのエイプリルフールネタとして世間を騒がせた同企画が、『コワすぎ!シリーズ』『ある優しき殺人者の記録』の白石晃士監督によって映画化が実現する。

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