水木しげる作品と少年時代_1964年以前

1964年(昭和39年)小学校4年

「もはや戦後ではない」


ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌 「買い物ブギ」

朝鮮戦争特需により戦前の水準に復興、1956年(昭和31年)の経済白書に「(戦後復興を通じての成長は終わり)もはや戦後ではない」と記され、高度経済成長が始まり、家電を中心とする耐久消費財ブームが始まり、「三種の神器」といわれた冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが急速に家庭に普及していく時代となります。

しかし戦後の生活がすべて終わったわけではなく、戦争の傷跡はまだあちこちに残っていて、8年後の1964年、東京オリンピックで本当の意味での「もはや戦後ではない」が実感されました。

さらに経済成長は1973年のオイルショックまで続きます。

同時に高度経済成長の過程で置き忘れられたものもありました。

人家の墓地


昭和30年 日本の道
 

関ヶ原で降りて、首塚で一ぷくする。すぐ北の伊吹山には、まだ雪が白く風も冷たい。古い垂井ノ宿から不破あたりへかかると、車の通行数はグンと少なくなってくるが、そのかわりに今度はひどい悪道路がえんえんと続き出す。 或る一部落のごときは、両がわの家すべてが廂の裏まで泥ンこにまみれ、その乾いた泥土をかぶったまま、昼なのに窓も戸も閉めきッて、往来の軒並み全部、人声もなく、死んだように考えこんでいる“人家の墓地”みたいな一村も見かけられた。

この地方だけではない。 こんどの旅で目に沁しみたのは、このような山村がいかに多いかの目撃だった。近年トラック輸送やダンプカーや、また私たちのような自動車旅行者のふえたおかげというしかない。そこへもって来て道路改修のコネまわしである。せまい旧街道に面している村、部落など両側の戸こごとはまったく空箱に泥を塗って並べたような廃墟状態におかれているのだ。――その中にも人が住んでいるにちがいないが――およそどの家々にも声さえないので、なおさら被害者の嘆きを思わずにいられなかった。
(1961年 3月31日)

随筆 私本太平記 吉川英治

この随筆で「人家の墓地」と表現されている、高度成長による過疎化の犠牲となり不気味な静けさに包まれた村では「家」そのものが、なにか得体のしれないもののように感じさせられます。

このように昭和30年代には妖怪が見え隠れしているような陰の風景も身近にありました。

そして時代は1964年の「証券不況」から57か月間続いた「いざなぎ景気」に向かいます。同時に水木先生も人気作家への大きな転換期を迎え、同時に自分も水木作品と出逢う準備が整います。

はるか遠くアメリカの地では


Petula Clark Downtown(1964)

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ニューヨーク万国博覧会 (1964年)が開催され、スタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』の構想を練っています。

SUDAREの部屋_再びあの椅子について。

ポップミュージックの最重要年は「1964年」

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イギリスの音楽の影響によるものではない。

科学者チームは、1960年から2010年までに発売された17,000以上のヒットソングから、楽曲の音色やハーモニクスを分析して異なる8つのグループに分類しました。

さらに独自のアルゴリズムを用いて音楽を細かく区分して、各グループが時代と共にどのように変化してきたかを分析しました。その結果「1964年」「1983年」「1991年」は、ポップミュージックの歴史にとって大きな転換期であったことが分かったようです。

音楽評論家の間では、ビートルズやローリングストーンズのようなイギリスのバンドが、60年代初頭のアメリカの音楽シーンに与えた影響について熱く議論されました。

そして1964年のアメリカにおける音楽スタイルの変化は、イギリスの音楽の影響によるものではないと結論づけられています。

データからビートルズが1964年にアメリカで人気を得る以前から音楽スタイルの変化は見られますが、イギリスのバンドがアメリカの音楽スタイルの変化において重要な役割を担ったことも確かです。


The Animals – House of the Rising Sun(1964)

『江戸川乱歩・少年探偵シリーズ(ポプラ社) 』初版発行(1964年)

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『怪人二十面相』は1936年(昭和11年)に江戸川乱歩が少年向けに発表した探偵小説。当初『怪盗二十面相』となる予定でしたが、「盗」の字が少年向けに不適切とされ、「怪人」になったそうです。

自分が出合ったのは、小学校の図書館に置いてあったポプラ社から刊行された「江戸川乱歩・少年探偵シリーズ」でした。発行年からすると多分初版本だったかもしれません。

表紙絵と挿し絵

この少年探偵シリーズ、表紙絵と挿し絵が印象的でした。

例えば怪人二十面相のシルクハットや黒マント等のイメージは挿し絵によるもので本文中には見られません。ところが、怪人二十面相といわれて思い浮かべるのはその姿。そして怪奇な内容を暗示させる挿し絵の数々。それに引きづられるように読み進める度に次々に湧き出すイメージ。

それはまるで今までにない漫画を読んでいるような気持ちで、夢中になって読み進めていたのを覚えています。後に現れる水木作品を受け入れる下地は、この少年探偵シリーズでできあがったようです。

『少年探偵 江戸川乱歩全集』

この頃水木先生の周辺では、

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ゲゲゲの女房 第14週 旅立ちの青い空

『月刊漫画ガロ』刊行開始(1964年 7月)

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日本初の青年漫画雑誌『月刊漫画ガロ』は、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者の長井勝一と漫画家の白土三平により1964年7月24日に創刊された。

『ガロ』元編集者・高野慎三氏に聞く ~『ガロ』の時代~

まだ、このとき『ガロ』という雑誌の存在は知りませんでした。この頃の『ガロ』に掲載された水木作品には後日単行本で出会うことになります。

『ガロ』第二世代

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実際に『ガロ』を手にして読み出すのは、あまり好きではなかった白土三平の「カムイ伝」連載が終了し、つげ義春、林静一に代表される第二世代の頃。

この『ガロ』二世代の特徴は、やはり印象的なカットの数々。

ストーリーを忘れてしまってもその一コマのカットは今でも脳裏に焼き付いています。

少年少女世界の名作文学刊行開始(1964年)

・クリーム色の外箱
・ブックカバーにはカラー写真
・表紙が世界の名画
・アメリカ編とかフランス編とか地域別
・全部で五十巻

ここまで書けば、同じ年代の方はもうピンと来たかもしれません。

そう、あの有名な教養的翻訳叢書、小学館の「少年少女世界”の”名作文学」が配本開始されました。

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(“の”というのがポイントで、先行して刊行されていた創元社の「世界少年少女文学全集」と講談社の「少年少女世界文学全集」と区別できます。)

内容的には面白いものと全然つまらないものがあり、何だか変だったのですが、それは「和文和訳」の方式が多用されることがもたらす弊害なのだそうです。

それでも、とにかくこれまで本なんて読んだことのない少年にとっては、読書することの楽しさを教えてくれました。

印象に残っているのは収録作品の内容もさることながら、やはり箱やらカバー、表紙といったその外観。

このことは今では論文にもなっています。これは一読の価値があります。

収録作品群にかわり、本叢書でもっとも「教養」的な匂いを放っているのは、おそらくは本体にはめ込まれたカラーの表紙絵ではあるまいか。そして、本体を包むカバーの、さまざまなカラー写真なども、少年少女読者の興味を引いたことだろう。本叢書は、先行の二叢書とは異なり、そのような視覚的情報がさまざまに取り込まれている。

収録作品名がずらっと書き並べられた函から本を取り出すと、まず眼に入るのは、その地域に関係するカラー写真が何枚も並べられた本体カバーである。見知らぬ外国への関心を高めるようなそのカバーを手に見返しを開けば、本体見返しには古代の貨幣が薄く印刷されるなど、エキゾチックな雰囲気がさりげなく演出されている。

一方、カバー後ろ見返しには、読書や青春期、あるいは人生に関わるような偉人の名言が載せられている。

分岐点にたつ「教養」的翻訳叢書―小学館「少年少女世界の名作文学」の意味

どうもビジュアルな「教養書」の体裁、そこがウリだったようですが、そのビジュアルという表現が来るべき時代の方向性を示し、「おたく第一世代」を生み出した揺りかごの役割を果たしたような気がします。

水木作品との出逢いまであと 1年。

そして『2001年宇宙の旅』との出逢いまであと 4年。

 
 
 
 
 
1964年→
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よみがえる当時の玩具

カプセルトイ

少年探偵シリーズは現在も、学校図書、児童図書館の定番として親しまれているのですが、なんと今年の 6月には、このマグネットが全国のガチャガチャにて発売されいます。

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何故、少年探偵シリーズが「ガチャガチャ」で「マグネット」なのかよく分かりませんでしたので、ちょっと調べてみました。

1965年に米国から輸入されて今年で50周年を迎えるカプセルトイ。83年に「キン肉マン消しゴム(キン消し)」などの登場によりブームが到来し、98年にはさらに大人を巻き込み第2次ブームを迎えた。各メーカーがカプセルトイの概念を変えるサービスや商品開発に取り組んだ結果、昨年のカプセル玩具市場の売り上げは対前年比約115%だったという。

カプセルトイは、各社が大人向けの商品開発で活路を見いだした。開発者や企画者は、「当時は子どものユーザーだったが現在は大人になっている。自分たち自身にも響き、当時を懐かしめて楽しめる“等身大の企画”」を追求した結果、大人層の獲得に成功した。

カプセルトイ:今年で国内流通50周年 第3次ブーム到来

なるほど、このカプセルトイ文化も同じ頃に生まれていたのですね。今だからこその少年探偵シリーズとカプセルトイとの組み合わせも何となく分かる気がします。

フィギュア

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60年代は動物フィギュア

1964年当時、デパートのおもちゃ売り場には大切そうにガラスショーケースに入ったブリテン社の動物フィギュアが売られていました。ケースの外から今にも動き出しそうな動物たちをじっと眺めながら、今度はシマウマにしようかガゼルにしようか悩んだものです。

海洋堂

そのおもちゃ売り場があった同じデパートで、なんと海洋堂のフィギュア展が開催されているではありませんか。

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海洋堂は、1999年に登場したチョコエッグの日本の動物シリーズの会社。

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2014年、海洋堂は設立50周年を迎えます。1964年に大阪に一坪半の小さな模型店としてスタートした海洋堂は プラモデルファンが集まる場所となり、やがてキャラクター造形やフィギュアの制作を始めます。本展では、海洋堂のフィギュアの歴史~成り立ちから現在の商品まで~と世界でも認められアートの領域まで達する造形作家によるフィギュア作品の数々をご紹介いたします。

コップのフチ子

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2012年に登場した『コップのフチ子』は、ほぼ日刊イトイ新聞で知って「なんだか奇妙なものが出てきたな。」というのが最初の感想。でも写真眺めていると「なんだかいいな。」という気分になってきたのを覚えています。

コップのフチ子さん – ほぼ日刊イトイ新聞

これを企画した「奇譚クラブ展」の展覧会も来年開催。

名古屋パルコ(愛知県名古屋市)では2016年3月18日~4月3日、奇譚クラブの設立10周年を記念した展覧会「奇譚クラブ10周年展」が開催される。

同展では、これまで10年間に発売された同社による全てのガチャガチャ商品を展示。生物フィギュアの「ネイチャーテクニカラー」や、「江頭2:50ストラップ」「土下座ストラップ」「くいとめるニャー」など、総数は2,500アイテムに及ぶ。

なんだか世の中、面白いことになっているようです。

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