志賀団地と少年時代_周辺記9_お待ちどうさま、羊神社に到着です。

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天道町を右に曲がり、ひたすら東に向かいます。辻小学校の横を通りすぎ、ほとんど辻本通(防衛道路)につきあたる少し手前の四つ辻を北に向かいます。

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初めての人には少々分かりにくいところにあるので、所々に案内看板が見られます。

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三が日は大変な人出だったようですが、一月過ぎてもう誰もいないだろうと思っていたのですが、遠くに見える鳥居には人だかりが見えます。今日は何か縁日なのだろうかと近づくと参拝の人々。さすが干支神社の12年ぶりの賑わいでした。

羊神社

お待ちどうさま、やっと羊神社に到着です。

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手水舎の蛇口は、龍の口から水が出ている場合が多いのですが、ここは火の神様を祀ったところなので、神使(眷属)の羊がかわりになっています。

なんだか、ゆったりとした気持ちでお参りできそうです。

蛇口ではなく、羊口ですね。ちなみに銭湯では温水と冷水が出る蛇口を鶴を意味する「カラン」と呼びますね。

「手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)」

手水舎は、神社、寺院の参道脇または社殿脇に置かれ、参詣者が手や口を漱ぎ清める。多くの手水舎は、四方転びの柱が用いられ、四方吹き放しとなっており、その中に水盤が据え付けられている。柄杓が置かれており、それを使用する。柄杓にすくった一杯分の手水(ちょうず)を使い、一連の所作を行う。

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1955年に生まれて

1955年生まれの人はこれで 5回目の「未」の干支を迎えることになりました。あと何度未年を迎えることができるのやら。

ところで「未」は成長途上の植物の意なのだそうです。つまり未熟の未という意。

「干支」

干支は十二進法の数詞。もとは種子から核(たね)までに至る植物の発達段階を表したもの。

【子】(シ)
頭髪がどんどんふえて伸びるさまを示す象形文字。
植物がこれから子をふやし生長しようとするタネ(種子)の状態を示す。

【丑】(チュウ)
手を曲げた姿を示す象形文字で、肘(チュウ・曲がる腕)と同系。
植物が地下において、なお屈曲して伸びかねている時期を示す

【寅】(イン)
まっすぐに伸びた矢の形を示す。引や伸と同系の語
植物がすくすくと伸び始める段階を示す。

【卯】(ボウ)
両側に押しあけたさまを表す。閉じたものや障害を押しのける意を含む。
植物の若葉が茂って、上からかぶさるさまを呈する時期と考えてもよい。

【辰】(シン)
解の肉(いわゆるカイの足)がペラペラと動くさまを示す象形文字。
植物が芽をなびかせて動き、盛んに生長する段階である。

【巳】(シ)
甲骨文字は子どもの象形。後世の巳(シ)の字は胎児の象形
植物が種子をはらみ始める段階。

【午】(ゴ)
杵(きね)の原字で、上下させてモチをつきならす棒の象形。
十二進法の前半と後半が交差するポストを示す。
後世の時間でいえば、午前と午後の交差点が正午にあたる。
十進法の五と同じ着眼から出た数詞である。

【未】(ビ)
木のこずえの未熟な枝を示す象形文字。
植物のなお成熟しきらぬ未熟な段階。

【申】(シン)
電光(いなずま)を表す象形文字で、後世の電の字の原字である。
まっすぐに伸びきる意を含む
稲の成熟をもたらすと考えられた。作物の伸びきった時期。

【酉】(ユウ)
酒をしぼるツボの象形。
酋とは、収穫した穀物で新酒を作る時と考えてもよい
広く「引きしめてひと所に収穫する」意と解してもよい

【戌】(ジュツ)
ホコの象形。武器で守ること。
武器で収穫物を守る時期を戌(じゅつ)という。

【亥】(ガイ)
ブタの全身に行き渡った骨組みを表す象形文字。
全部に行き渡る意を含む。
この位置で十二進法が全部集結するとの意を表す。

後記

実際に歩いたのは 3時間程度。それがブログで羊神社に到着するのにひと月もかかってしまいました。

最初は『ウールと綿』というタイトルで、綿神社、お福稲荷、羊神社を紹介するつもりが、ブログを書き進めるうちに安土桃山時代、江戸時代、昭和30年代、そして現在と、時が溶け始め、現実の景色がぼやけてきて、自分の記憶や想像した風景に置き換わっていくのです。この混とんを整理しながらまとめるのに苦労しました。

結局、現在の状況や由来についてはネットでいろいろな人が書いていますので、そちらに任せることとして、多分もうすぐ消え去ってしまい、誰も知ることのなくなる当時のことを断片的に書き散らすのも一興かなと、1955年から69年にかけての航空写真を地図に代えて、かって志賀団地で過ごした昭和30年代の団地周辺の風景を書き綴ることにしました。

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