志賀団地と少年時代_周辺記8_お福稲荷

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稲置街道をまっすぐ北に、羊神社には天道町を右に曲がるのですが、その交差点のずっと向こうに何やらこんもりとした杜らしきものが見えます。

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そう、あれは「お福稲荷」の杜。

今回は寄りませんでしたが、数年前にどうしても確かめたいことがあって訪れています。

お福稲荷

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ここは、「お福稲荷」「御山神社(やまじんじゃ)」「白竜大神」の三つの神社が祭ってある小高い丘です。

ここは、稲置街道を通って庄内川へ遊びに行く途中の休憩場所でした。

川へ行くのは夏の盛りの頃が多く、暑い太陽の下を人影もまばらな街道をひたすら向かうのですが、ここには市場がありジュースを飲んだりして一息入れていたところです。

数年前に訪れた時には、ずいぶんと綺麗になっていましたが、当時はひなびた社があるだけでした。

数年前に訪れた理由は、付近の神社では見かけない鳥居の多さと不思議な形をした石が置いてあったり、奥にはらせん形の迷路の奥にきつねを飼っていたような檻があった記憶が微かに残っていましたので、その記憶が正しいかどうか確かめにいったのです。

「稲荷神」

稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)は、日本における神の1つ。

稲荷大明神、お稲荷様・お稲荷さんともいい、稲荷系の神社では、玉藻の前(九尾の狐・殺生石)が祭られていることもある。

稲荷神は元々は農業神であるが、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の使いに位置付けられた

稲荷神社の前には、狛犬の代わりに、宝玉をくわえた狐の像が置かれることが多い。他の祭神とは違い、稲荷神には神酒・赤飯の他に稲荷寿司や稲荷寿司に使用される油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を「稲荷」とも呼ぶようになった。ただし狐は肉食であり、実際には油揚げが好物なわけではない。

やっぱり、「あれ」は現在も在りました。

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たくさんの鳥居と、

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座布団に乗せられた不思議な形の石。

この玉ねぎのような不思議な石は、「おもかる石」というものらしく、その形は「宝珠」の形を表しているそうです。

「鳥居」

鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。

稲荷神社などの鳥居が朱色であるのは、古来その色が生命の躍動を表し災いを防ぐとして神殿などに多く使われたためで、これが鳥居にも影響しているとされる。

「宝珠」

如意宝珠(にょいほうじゅ)とは、仏教において様々な霊験を表すとされる宝の珠のこと。如意宝、如意珠、または単に宝珠(ほうじゅ、ほうしゅ)とも呼ばれる。

日本では一般的に、下部が球形で上部が円錐形に尖った形で表される。

無限の価値を持つものと信じられ、増益の現世利益を祈る対象となる。

通常、仏塔の相輪の最上部に取り付けられ、そのほかの仏堂の頂上に置かれることもある。また、橋の欄干など寺院以外の建造物の装飾として取り付けられる擬宝珠はこれを模したものとする説がある

石灯籠の笠の頂上に載る玉ねぎ状のもの。

「おもかる石」

全国に30,000社あるといわれ、全国各地で老若男女を問わず親しまれているお稲荷さん。その総本宮が伏見稲荷大社。

千本鳥居を通り抜けると、命婦谷の奥社奉拝所。その奥社奉拝所の右奥に、一対の石灯篭があり、この灯籠の前で願い事を祈念し、石灯籠の空輪(頭)を持ち上げた時、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶うといわれ、重ければ叶わないといわれている。

お福稲荷も伏見稲荷大社の末社なのでしょう。ちゃんと「おもかる石」があります。

50年前に訪れたときには、誰もいなくてその占い方法を教えてもらえず、勝手に石を30秒間持ち続けられれば願いが叶うと決まりを作り、訪れるたびにこの石を抱えていました。

その石が占い石だったことは違っていなかったようです。

さて、もうひとつの記憶である奥にはらせん形の迷路の奥にきつねを飼っていたような檻はどうでしょう。

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お福稲荷のお社

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このお福稲荷の右手を下っていくと、

やっぱり、「そこ」は現在も在りました。

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当時は、こんなに立派ではなかったような気がします。

黒々としたコンクリートの通路がとぐろを巻くように延々と続いて、やっとたどり着いたその奥には朽ち果てた木の檻の扉だけが岩に取り付けられているという、おどろおどろしく不気味なところで、ひとりの自分にとって蝉の声だけが正気を保たせる現実の世界でした。

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神社・仏閣には「」が付きもの。

多くは獅子や犬ですが、ほかにも猪・龍・狐・狼・虎・猫・蛇・鹿などもあり、これら動物は神使と呼ばれています。

稲荷神にはやはり狐ですね。この神使には付随物と尻尾に特徴があります。

〈付随物とその配置〉
玉、鍵、巻物、稲、子狐 × 頭上、口、足元、尻尾の先、背中

〈尻尾〉
縦尾・横尾・斜尾の3種

いろんな神社に参拝したときは、狐にも注目。けっこうバリエーションがあって面白いですよ。

稲荷の狐のバリエーション

ところで「玉」や「鍵」ってどこかで聞いたことがありませんか。

「花火の掛け声」

両国川開きで人気を競った花火師の屋号に由来。

玉屋は鍵屋で番頭を務めていた腕のよい職人・清七が独立し、暖簾分けしてもらった分家。屋号も、鍵屋が守護神としていた鍵屋稲荷の祠に祀られている狐の一方が「鍵」を、もう一方が擬宝珠の「玉」を持っていることに由来する。

また、その両国橋の名称の由来は、隅田川が下総国と武蔵国の国境であったため、両国橋はその両方の国に跨っていたため。

お福稲荷をさらに北上すると、成願寺の横を通って矢田川・庄内川に突き当たります。

矢田川

かつての流路は、北区福徳町・中切町・成願寺を庄内川と挟み込む形になっていました。1930年には矢田川の付け替え(流路変更)工事が行われています。ですから、すでに矢田川は成願寺の向こう側。

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夏草の生い茂る矢田川の堤防を川側に降りていくと、そこには勝手に「四角池」と名付けたコンクリート製の四角い池がありました。

途中で買った竹竿に釣り糸とウキをつけて太公望を気取ったまではいいのですが、あまりに反応がないので石を重しにほっておいて、水辺のメダカをすくったりしていました。帰り際になって、ほっておくいた竿に大物がかかっていたりしてました。

そこでの土産は、「ひし」。この実は面白い形をしていて、乾燥させて忍者ごっこのマキビシにしていましたが、どうやらその利用法は本当だったようです。

「ひし」

ヒシ科の一年草の水草。池沼に生え、種子は食される。

桃の節句に菱餅を食べるが、形が菱形になっているだけでなく、ヒシの実またはヒシのでん粉を入れる場合もある。

菱形とはヒシにちなむ名だが、葉によるのか実によるのか両説ありはっきりしない。

オニビシやヒメビシの実を乾燥させたものは撒菱として忍者が追手の足を止める小道具になる。

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ちなみに家紋は「丸に松皮菱」
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本日の一曲
自分にとっての夏模様はこの稲置街道を通った矢田川の青い空と緑の堤防でした。


井上陽水 少年時代.flv

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