壮の頃に感じた_音に聞こえた「いにしえ」日本3

古代から現在まで、色々なスタイルの日本人の琴線に響く「神代」「畏怖」「もののあはれ」「原風景」を感じた曲を集めてみました。今回はその後に出会った「いにしえ日本」。

壮の頃に感じた「いにしえ」日本。

〈アミニズム〉

『神さま達』

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およそ名も無き 神々は
今日もほとほと くたびれて
腰はガタガタ 膝は折れ
腹のたるみは 手にあまる

長い間の念願の二泊三日の骨休め
やって来たのは となりの世界の湯屋『油屋』

よもぎ湯 硫黄湯 泥湯に塩湯
たぎる熱風呂 ぬるぬる風呂
氷の浮いた冷やし風呂

少しは元気になりたいと
やっと貯めた銭いくばくか
握りしめても 熱くもならぬ

長い間の念願の二泊三日の骨休め
やって来たのは となりの世界の湯屋『油屋』

竃神 井戸神 雨戸神 屋根神 柱神 便所神
田の神 畑神 山の神
舗装道路の並木神 汚れもひどき川の神

長い間の念願の二泊三日の骨休め
(腰の抜けたる泉神)
やって来たのは となりの世界の湯屋『油屋』
(空気の神はもう来ない)
(電気達に神はない)

人も自然界の一部であり、自然だけではなく人も、さらに人の生み出した物さえも神格化してしまう日本人の特性は数ある多神教の中でも特異です。

インドや中国の神様も仲間にして、なんと八百万(やおろず)つまり数えきれないほどたくさんの神さま達が、この小さな日本に所狭しといらっしゃるわけで、実際に数え上げれば日本人の人口よりも多いのかもしれません。そこには人と同様に神様なりの苦労が尽きないのでしょう。

そんな神さま達の今の日本に対するつぶやきが聞こえるようです。

〈輪廻と宿業〉

『傀儡謡』西田和枝社中

一日一夜(ひとひひとよ)に 月は照らずとも
悲傷(かな)しみ鵺鳥 鳴く
吾がかへり見すれど
花は散りぬべし
慰(なぐさ)むる心は
消(け)ぬるがごとく

新世(あらたよ)に 神(かむ)集(つど)ひて
世は明け
鵺鳥 鳴く

咲く花は
神に祈(こ)ひ祷(の)む
生ける世に
我(あ)が身悲しも
夢(いめ)は 消(け)ぬ
怨恨(うら)みて 散る

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三河の傀儡女達は華やかで豪華だった。赤坂宿 (東海道)

「傀儡」は、操り人形のこと。「傀儡子」とは日本の中世・近世に、人形芝居を見せるなどして諸国を旅した漂泊の芸能者集団。

芸能の時代といわれる中世には、多くの女性芸能者たちが活躍していました。その後の封建制度の確立と共に、歴史の表舞台から姿を消していきました。人形使いが人形そのものとなってしまった彼女たちの想いはいかに。

これもいにしえのこと。

傀儡女

11世紀頃から陸の宿駅で歌と共寝をする傀儡女が姿を見せ、12世紀には御所に自由に出入りして一緒に今様を謡い、貴族の配偶者の妾となりました。そして後白河法皇を魅了した傀儡女乙前の死が、傀儡女たちの歌謡が芸術として評価される最高の時代の終焉となり、13世紀になると傀儡女の名称は消滅の一途をたどり、13世紀末にはほぼ無くなっていきます。

傀儡子は 素より往来頻りにて
万里の間に 居も尚新たにす
宿を卜して独り歌ふ 山月の夜
蹤を尋ねて定めず 野煙の春
壮年には 華洛の寵光の女なりしも
暮歯には 蓬廬の留守の人なり
行客征夫の 遥かに目を側むるは
是れ斯れ 髪白く 面も空しく皴めればなり

藤原頼通

傀儡女の登場と変容

『輪廻交響曲≪翠生≫』芸能山城組

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六道輪廻において六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする。

輪廻交響曲は翠生(生)、散華(死)、瞑憩(生態系の復活)、転生(生命の復活)の4楽章から成っていおり、東洋の宇宙観の根底を流れる輪廻思想をメインテーマとして、生と死の相補性、対等性を謳い上げることをめざしたものです。

「翠生」の後半部分には神代の時代のもつ原初的な神秘性と躍動感に気づかされます。

〈原風景〉

『Neyuki』Uttara-Kuru

里の静けさよ

雪に埋もれて 幾年月を
指折り数えて 春を待つ

ああ・・・

小川流れて 野に咲く花と
若葉萌ゆるよ 里の春

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雪が降り積もった後、雪融けの季節まで融けずに残ること。神代の昔から繰り返される春の到来を待ちこがれる雪深き里の心唄。

『Konjaku Monogatari』菅井えり

神々から与えられた 四季折々の島
忘れないで 壊さないで 語り続ける心

おぼろ月に涙よせ 十五夜に夢をみる
忘れないで 忘れないで 感じ伝える心

黒髪につげのくし 愛しい人に文 瞳だけで話し合えて

心のある島よ

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芥川龍之介の『青年と死』『羅生門』『鼻』『芋粥』『運』『偸盗』『往生絵巻』『好色』『藪の中』『六の宮の姫宮』は『今昔物語集』から素材を得ていると考えられている作品です。

そして黒澤明監督のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞した『羅生門(1950年)』の原作は そのうち『藪の中』と『羅生門』から。

平安時代末期に成立した『今昔物語集』は全体で1040話からなる膨大な作品群で、同じ平安時代でも、閉塞した社会を描いた『源氏物語』に比較して、『今昔物語集』の世界は広い社会のあらゆる階層の人々の行動を写したもの。

その魅力は題材の豊富さと精神的自由さの表現にあります。儒教や神道的な思想の影響もなく、仏法的世界観をも乗り越えて、超自然的存在も武人が勝つ。

人間らしく、精神的にはのびのびしていた古代から万葉にかけてのいにしえの日本人の姿が浮かび上がります。

『あはがり』朝崎郁恵

浮き世…仮島に 何時(いてぃ)がでぃむ 居らりゅむぃ
情けあれぃよ 仮那(かな) くぬ世ば うさむぃれぃがでぃ

節や水車めぐりあわそ
てぃきぬあはがりし たましゃ うどぅてぃ

いきしゃん くとぅあてぃむ 天と大地や
てぃきぬあはがりし たましゃ うどぅてぃ

『新日本風土記』の松たか子の心地よいナレーションと『アナと雪の女王』の歌声の違いには驚かされたのですが、「あはがり」はそのテーマ曲。

「あはがり」とは奄美の島言葉で「すべてがあかるい」という意味。奄美の島唄の歌詞は、古い都の言葉が残っていて、いにしえの日本の姿そのものです。

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