池下アパートのあった風景

大好きな写真の一枚。

この屋根の上にいる赤十字マークの犬は多分、動物病院の看板でしょうか。

wpid-20120723_246-2014-06-15-12-32.jpgこの写真はクリックすると拡大します。

これは50年以上前、かって名古屋の池下地区にあった『日本住宅公団 池下アパート』とその周辺を撮ったものです。

昭和な風景

コールタールの塗られた木製電柱と網の目に張られた電線、屋根上の物干し、コンクリートの柱と手すりが象徴な建物、現在のように幼稚ではない、大人の雰囲気を漂わす女子高生がのんびりと横切る広い道路、ダイハツ・ミゼットの走る道路の奥の方に走る市電、なんと昭和な風景。

今はほとんど姿形を留めているものはありません。

都市の不燃化高層化を図る市街地住宅

ネット上には「1997年に公団 池下団地を再開発」という情報ばかりで、肝心の『日本住宅公団 池下アパート』についてはほとんどありません。

名古屋市の都市計画概要 2013 の 6-4 市街地再開発事業

昭和36年建設の住宅・都市整備公団の池下団地があったが、住宅設備の老朽化や住戸規模も小さくなったことから建替えの必要性が出てきた。

という記述を見つけ、やっと1961年という竣工がわかりました。ただ、都市の不燃高層化を図る市街地住宅という多分当時としては画期的プロジェクトだったはずの『日本住宅公団 池下アパート』の詳細な資料をみつけることはできていません。

サンクレア池下の建設された94年からの池下第一種市街地再開発事業も大規模でしたが、58年から始まる錦通り露天掘りの地下鉄東山線延長工事、愛知淑徳中・高等学校校舎移転、池下アパート建設、操車場の池下工場転用工事、池下駅開業、市電廃止などの工事が目白押しで、この時期も池下が大きく変化した時期であったことが想像できます。

最初の池下地区再開発

1958年(昭和33年)名古屋市都市計画基本図

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1958年(昭和33年)12月10日 : 池下電車運輸事務所閉鎖、同日付で池下電車臨時操車場

1959年(昭和34年愛知淑徳中・高等学校校舎移転

1959年(昭和34年)6月10日 : 池下電車臨時操車場としても廃止

1960年(昭和35年)6月15日 : 地下鉄 池下駅開業、池下工場に転用

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1961年(昭和36年)5月15日 : 地下鉄東山線建設のため、市電東山公園線 覚王山 – 星ヶ丘間運休

1963年(昭和38年)4月1日 : 地下鉄東山線 池下 – 東山公園間が開業

1965年(昭和40年)名古屋市都市計画基本図

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1965年(昭和40年)3月1日 : 市電覚王山線 今池 – 覚王山間廃止

池下駅地下に謎の空間

市営地下鉄東山線で出勤していてずっと気になっていた。高畑行きの列車が池下駅を出た後、右側の窓の外に広がる暗がり。線路もほの見える。一瞬だけ姿を現すあの空間は何なのだろう。秘密の行き先や秘められた物語があったりはしないか…。

地下鉄関連の本で、池下駅についての記述を調べた。1960年、東山線が池下駅まで延伸した時に「池下車庫」を設けたとの記述が見つかった。これは手がかりになるかも、と勇躍して、かつて同車庫で働いていた大須賀広郷さん(64)、上床清さん(72)を相次いで訪ねた。

ナゾの線路の存在を説明すると「引き込み線だよ」と大須賀さん。終点の池下駅に着いた電車はこの線路を通って車庫に向かったという。上床さんによると、この車庫には車輪の手入れに使う転削機も備わっていた。当時、全国に数台しかなかったらしい。しかし、そんな最新鋭の車庫にも弱点があった。

「雪の日や、故障して戻ってきた電車を地上に出すのは大変だったよ」と大須賀さんは遠い目をした。地上の狭い車庫に車両を出すため、引き込み線はかなりの急坂。雪の日は滑り、また故障して性能が落ちた電車は坂を上りきれず、他の電車で押したり引っ張ったりして何とか運んだことも。

一緒に往事を想像していると、大須賀さんがさらに気になる一言。

「ここは建物が特徴的でね」

車庫建設の際に愛知淑徳高校の敷地を買収し、一方、同校は手狭だったこの地から現在の千種区桜が丘へ移転した。大須賀さんが「車庫の事務所と教習所は高校時代の建物をそのまま利用していたんだよ」と言えば、上床さんも「頑丈なコンクリートの建物だった」とうなずいた。

地下鉄で星ケ丘駅に近い愛知淑徳学園へ向かう。同校の100年史でも2人の話が確認できた。元校長の富永伸さん(83)が「大切に使ってもらえたようで何より」と話す。再利用されたのは講堂と東校舎で、特に前者は「母校に講堂を」という生徒や父母からの募金で建てたものだった。市に土地を売却する際、「できれば解体ではなく有効活用を」と要望していたそうだ。

車庫は69年の藤が丘移転で廃止となり、跡には今年10月に閉館した旧愛知厚生年金会館が建った。

今回、市交通局の許可を得て地下に入らせてもらった。気になっていた引き込み線の線路は同会館敷地との境に当たる地下部分で切れ、暗闇には線路保守用の機材がひっそりと置かれていた。

2008年12月8日 中日新聞

そして『日本住宅公団 池下アパート』の現在。その跡地にはサンクレア池下が建っています。

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『池下アパート』写真集

ということで残念ながら詳しいことをお伝えすることができませんので、ここからは手持ちの写真を淡々と公開することにします。

多少変わっているのは、建設当事者側の目を通して見た風景ということ。当時の明るい未来があった高度成長時代の幕開けの雰囲気を感じます。

パース

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基礎工事

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建築工事外観

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完成外観

wpid-20140621_17-2014-06-15-12-32.jpgこの写真はクリックすると拡大します。

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内部

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付属施設

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室内内装

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昭和30年代の団地の建設過程の写真でした。
これって本当は貴重な資料かも知れませんね。

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