アンモナイトの記憶_鳴子ダイエー物語 9

かってダイエー鳴子店があった交差点のガソリンスタンド前の歩道でのこと。

横を通り過ぎる女子高生が「あれ、確かここにダイエーがあったんじゃない」ともうひとりに訪ねています。その子がなんと答えたかは聞き逃してしまいましたが、その大きな跡地にはいまでも何かがあるような透明な記憶が漂っています。

昨年の7月末に閉店したダイエー鳴子店の跡地も 5月の連休を前にして綺麗に整地されてしまいました。

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その後の跡地利用経緯

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今年に入って 1月31日に2016年 4月30日完成予定の東西約130m、地上13階建て、戸数274戸の巨大な「天白区久方3丁目マンション(仮称)」計画が発表されました。

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本当なら東海銀行鳴子支店

そして 2月18日には取り残されたように建っている三菱東京UFJ銀行の鳴子出張所が鳴子支店に昇格しました。開設から42年目ぐらいになるのでしょうか。ずいぶん長いこと野並支店鳴子出張所の時代が続いたものです。ちなみに自分の初めて銀行口座もここで開設しています。

三菱東京UFJ銀行は立地条件によって出張所を支店に昇格する方針も打ち出していました。

地下鉄桜通線も延長して3年、鳴子のマックスバリューも 7月 1日にオープン予定、鳴子団地の建替後住宅「アーバンラフレ鳴子」は5号棟までが既に竣工済み。

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建替住宅建設用敷地を除く街区は商業施設や高齢者施設の誘致、民間事業者による住宅の建設などの鳴子団地再開発と共にこの跡地は注目エリアとなっているのでしょう。

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この鳴子・相生地区も40年ぶりに新しい時代に入るようです。

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大好きだったレンガ造りの階段エントランス部分も今はこの状態。マンション完成後は涼やかな木立のプロムナードになることを祈ります。

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三菱東京UFJ銀行鳴子支店はすでに化粧直しが終わっています。

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残された記憶

三菱東京UFJ銀行鳴子支店をよく観察してみると、嬉しいことにあのダイエー鳴子店の面影が残されていました。

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かってのダイエー鳴子店で印象的だった屋根のひさしの形状と車輪の意匠跡もくっきり残っています。

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中央の四角いところは、多分ダイエー鳴子店内にあった夜間金庫の投入口跡だと思われます。

全面改装はまだ当分先のことと思われますので、しばらくはこの三菱東京UFJ銀行鳴子支店のアンモナイトの化石のように残されたダイエー鳴子店の記憶を楽しんでいきたいと思います。

消える「ダイエー」の店舗名

イオンは 9月24日、傘下のダイエーを2015年 1月に完全子会社化し、「ダイエー」の店舗名を、2018年にもなくすと発表しました。

『扇』

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直接ダイエー鳴子店内にあったわけではありませんが、相生山の交差点に現在は和食レストラン「鈴のれん」の建っているところにあった「扇」という喫茶店の手持ち写真がなく寂しい思いをしていました。ところが最近になり例の航空写真で上空からだけなのですが手に入れることができました。やっと再び巡り合えた思いです。

この店には園芸店が併設されていました。建物は大きなガゼボ風で見通しがよく、モダンな調度品が配置された店内は当時にしては間の取り方がかなり広く、大きめのどっしりとしたソファーで飲むコーヒーはほんとうにゆったりとおいしかった記憶があります。


今日の一曲

 

After a storm comes a calm.

嵐のあとには静けさが訪れる。

 


SEAY – Peace On Earth.mpg

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「アンモナイトの記憶_鳴子ダイエー物語 9」への4件のフィードバック

  1. はじめまして。1958年生まれです。
    予備校まで、相生山団地に住んでいました。
    多分、開店した日に行っています。
    帰省するたび、日に二度三度と顔を出していました。
    閉店してもう一年以上たつのですね。

    1. tajimaさんこんにちは。

      開店当時はなんとなく明るくワクワクする時代でしたね。(当時の大人たちは第一次オイルショックで大変だったようですが。)

      相生山団地といえば「シオン」という本屋さんがありましたね。

      ユダヤの六芒星形を思い浮かべてしまい変わった名前のお店だと思っていましたが、最近になって「紫苑」という花の名前だったと気がつきました。

      そして「ピーコックストア」。

      オイルショック時のトイレットペーパー買占め騒動でおなじみの「大丸ピーコック」も相生山団地にもありましたね。

      その後大丸ピーコックが松坂屋ストアを吸収合併して会社名を「ピーコックストア」としまが、そのピーコックストアはイオンに売却され、「松坂屋ストア」の名は消滅しました。平針にあった松坂屋ストアは今は、マックスバリュになっています。

      なんとも時代の流れというものは、不思議な気持ちにさせられるものです。

      1. こんばんは。
        そうですね。「ダイエー」ができるまで本とお菓子は、「シオン」と「ピーコック」でした。「ダイエー」の本屋さんも当初は「青春書店」ではなかったかな。
        鳴子団地には田んぼのあぜ道を越えて行ったような印象が。途中の用水路には、オタマジャクシが泳いでいました。

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