常磐木と桜の木

「常磐木落葉(ときわぎおちば)」は、秋の紅葉とは異なり、新緑の頃の衆目を集めずに人知れず散る、常緑樹の落ち葉を表す言葉。

常磐木

万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり

秋でもない4月中旬の清明の候。

桜の花も散り急ぐ季節の足下にパサパサと枯れ葉が落ちてきます。

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ふと見上げるとそのもちの木の先端は丸裸。

この木病気にでもなったのか。水不足なのか。寿命なのか。環境異変なのか。いろいろな考えがが浮かんでくるが本当のところは分からない。

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10日ぶりの雨上がりの翌日、再びその前を通りかかると気になって見上げた木の先端には、新しい若葉の芽吹きが。

春に散るのは花だけだと思いきや、古葉を落とす木もあるのだと今更初めて知りるのでした。

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初夏の季語

いにしえ人はこれを「常磐木落葉(ときわぎおちば)」といい、初夏の季語でもあるそうです。しかし「人知れず散る」といいながら、けっこう騒がしく落葉の音をさせるものです。

常磐木の 散るや母さへ その子さへ

嵐雪 「或時集」

常盤女学院

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「ときわ」この語から過去にあった「常盤女学院」を思い出しました。

常盤女学院について

『松坂屋百年史』によると、1907年(明治40)に和裁裁縫の知識・技能要請を目的に名古屋市長島町に「いとう呉服店裁縫所」が設立され、1910年に七曲町に移転、1929年(昭和4年)に東区久屋町一丁目に移転して学校組織の「常盤裁縫塾」となりました。戦後は東区代官町へ移り「常盤女学院」と改称し、1977年(昭和52)には専修学校となりますが2007年(平成19)3月31日に閉校しています。

花嫁修業

江戸時代には、今で言う花嫁修業として三つの自己研鑽の場があった。

第一に、寺子屋、第二に芸事を学ぶ場、第三に、特に商家の子女が勤める御殿奉公である。

寺子屋では、読み、書き、算盤を基本教科として習い、これらに加えて、茶、活花、裁縫を学ぶ。これが終わると、芸事の師匠に筝曲、三味線、手踊りなどを女性にまつわるたしなみとして習うのが一般的であった。

江戸は政治の中心として、幕臣家族・大名家族が生活していて、日本では初めて広範な大人口の上流社会が成立した。共通語としての標準語の成立、上品な礼儀作法、生活文化、教養、知識、日本古来の伝統、道徳の継承、行動の規範等が定着していった。

このような上流社会のお屋敷に町人の娘が勤めるのを「御殿奉公」とか「武家奉公」と言った。こういった奉公を経て、町人の娘たちは礼儀作法、教養、上品さ等の生活文化を身につけ、やがて町家の女房になる。

大勢の使用人、多くの近隣縁者、奉公人、さらには近隣の娘たちに接し指導するためにはどうしても幅広い教養と高い見識が要求されたわけである。行儀作法はもとより、手芸、生花、茶道、音曲(琴、三味線)といった諸芸も勉強した。こうして、文化年間(1804-1817)には上流社会の作法が庶民レベルにまで普及していた。

文化壱拾年(1813)刊の「都風俗化粧伝」(みやこふうぞくけはひでん)には、肌の手入れ、化粧、髪の手入れ、髪型、歩き方、帯結び、身づくろいなど、身嗜みの全てを紹介している教養書がある。化粧(けはひ)とは気配、気配りで、他人に対して不快な感じを与えないための気遣いという意味を持っていた。

江戸ものがたり

今も昔も百貨店は大勢の若い女性が働いています。

百貨店はその出生母体から「呉服系」と「電鉄系」と区分することがあります。

「呉服系」は伝統的、「電鉄系」は近代的な社風を旨として感じることがあるからでしょう。そこに働く社員の方々もそれなりにその社風に染まっていきます。その呉服系の代表格である松坂屋直営の裁縫学校。

親御さんに安心して娘を預けてもらえるよう、働くことで礼儀作法を身に付け、余暇に花嫁修業もできる環境づくりの一環として「常盤女学院」は設置されたのでしょう。

ここに江戸時代から続く花嫁修業の伝統を観ることができました。

今では「花嫁修業」という言葉は死語という人々が現れ、常盤女学院も閉校。

同時に品のある女性も見かけなくなった気のする今日この頃です。

となりの枝垂れ桜

この季節、丸裸といえばもちの木の近くに植えられている枝垂れ桜の木。

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3月の末。見事な枝垂れ桜が満開。その後順調に若葉も出て新緑のみずみずしさに溢れていました。ところが、

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その一ヶ月後には毎年おなじみの「桜毛虫」の襲来で、彼らの旺盛な食欲の餌食となり、一晩で丸裸に。

不思議なことにこの丸裸になった枝垂れ桜、この毛虫の大群がいなくなったところで再び葉をつけるのです。ですから初夏には青々とした葉に覆われ元に戻ります。

まるで毛虫用の若葉を見せかけに出しておいて、本命は後からといった感じです。「桜毛虫」との間に何らかの共生関係でもあるのでしょうか。

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モンクロシャチホコ

この「桜毛虫」はモンクロシャチホコという名だそうです。

モンクロシャチホコは初心者向けの「昆虫食」。誰でも美味いといわざるを得ない虫で、この味を知ってしまったら、もう鈴なりのさくらんぼをみるかのように彼らへの認識が変わってしまうらしい。

サクラの香り、肉質の旨み、外皮の弾力、どれをとっても最高です。特に虫特有の脂質のにおいがしないので、初心者にオススメです。毛もやわらかく、味の絡みにくい外皮の代わりに毛にポン酢が絡み、美味しく頂けます。

むむむ、こいつらがそんなに美味しいのか。知らなかった。

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そして一月後

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再び葉が生え揃っています。

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このモサっとしたところは、なぜか桜毛虫に食べられなかった枝。

さらにもう一月後

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逆に周りの木より、勢い良く茂っているように見えます。やはり、桜毛虫との間に何らかの共生関係があるようです。

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