あなたの初めての Mac は何でしたか?

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最初のMacintoshが誕生したのは1984年1月24日、いまからちょうど30年前のこと。

Mac 30周年にあわせて、米Appleのトップページも記念仕様に変わり、動画や年表で30年の歴史を振り返ったり、自分が初めて使ったMacとその用途を投票できるユーザー参加型企画「My First Mac」が用意されています。

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初めてのMac

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The Vectronic Collection
http://www.vectronicsappleworld.com/collection/se30.html

初めての Mac は Macintosh SE/30 でした。時期は1989年1月にリリースされた当初日本での販売はなく、その後同年7月、英語版のまま日本国内販売され、12月になりようやく日本語版の販売が開始されたそうなので、多分1990年の夏ごろでしょう。

ところが、「My First Mac」では残念ながら Macintosh SE/30 は選ぶことができません。仕方がないので Macintosh SE ということにしました。Macintosh SE/30 はモトローラ MC68030 マイクロプロセッサを搭載し、Macintosh SE とは違う系譜で歴代 Mac のなかでも名機とされているのですが選択肢がなくて残念。

当時のSystemバージョンは漢字Talk 6.0.4、使用ソフトは dBASEMac と Excel 3.0。

Adobe Illustrator や Adobe Photoshop は当時高価な業務用のソフトでしたので、まずは業務改善用としてデータベースと表計算から入っています。それでも国産PCと比較して高価でしたが、当時はバブルの真っ最中。うまく稟議を通すことができました。

なぜそこまで、 Macintosh 導入にこだわったのか。

たまたま当時会社近くに1992年頃まで Macintosh を独占販売していたキヤノン販売の「ゼロワンショップ」があったことでした。ある日ショーウインドウ越しに見えた Macintosh のデモ画面に興味を持ち、Mac を初体験。

そして、プロンプトからプログラムやファイルの操作、カーソルやエリアをキーボードで移動するのが当然だった当時の一般的な環境に比べ、統一された GUI 環境とマウスを利用した操作性の良さに衝撃を受け、人にとってコンピュータというものはこうあるべきと強く感じたのです。

その感動はその後ずっと続いて、24年後の現在でも Mac を使用しています。

My First Mac
CNET News Apple The Macintosh turns 30: Going the distance
http://news.cnet.com/8301-13579_3-57616252-37/the-macintosh-turns-30-going-the-distance/
Macintosh’s 30th anniversary

My First Mac 以前

パソコン歴は Mac を手に入れる10年ほど前、つまり80年代前半から始まります。当時は1979年のPC-8001ぐらいから始まり、日本電気のPC-9800シリーズ、富士通のFMシリーズ、シャープのX68000 など百花繚乱のワクワクする時代でもありました。しかし、趣味的に合った「タンディ・ラジオシャック」「アップルコンピュータ」「コモドール」に憧れていましたので、パソコン御三家の機種には結局、縁がありませんでした。

SORD PIPS(1980年)

初の国産表計算ソフトだった SORD PIPS は、パソコンの利用にはBASICプログラムが必須だった80年代前半、表形式のデータに対して100個あまりのコマンドにより誰でも簡単に関数計算やグラフ作成、データ検索を行うことができるソフトウェアでした。ソフトウェアといってもソード社独自のOSを搭載したマシンしか動きませんでしたので、同時に表計算専用ハードウエアとも言えます。

帳票というよりも行数ページ数が限定された台帳をデジタルに置き換えたようなもので主に経理で使用されていましたが、その性格上そんなに毎日使用されるものでもなく、遊んでいる時間になにか別なことに利用できないかといろいろいじくり回していましたが、結論はクローズされたOSには拡張性が乏しくあきらめました。ただこの経験が Excel のマクロ開発につながっていきましたし、「行数ページ数が限定された台帳」形式というのは印刷されたイメージに近く分かりやすいので、その後のソフト開発でも場合に応じて利用しています。

これが初めてのスプレッドシートとの出会い。

CASIO PB-100(1982年)
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上記 SORD PIPS を使って業務を改善して欲しいという依頼をふたつ返事で受けたのはいいのですが、実はその時点ではまったくパソコンを知らなかったのです。そこでいかにもパソコンに精通しているようなふりをして調査開発ということで三ヶ月という期間をもらいました。

ちょうどその頃ポケットコンピュータ CASIO PB-100 が発売されていましたので急いで購入。プログラミング言語としてBASICを内蔵した横長電卓のようなコンピュータです。プログラム用のフリーエリアを増設して1,568ステップにしました。それには『パソコン必勝法』という入門書が付属したので、約二週間ほどで BASIC をマスタしました。

これが初めてのプログラミング言語との出会い。

EPSON HC20(1982年)
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ところが、いざ実用的なプログラムを組もうとするとまったくステップ数が足りないのに気がつきました。もともと PB-100 は入門用として購入しましたのですぐに世界初のハンドヘルドコンピュータ HC-20 を購入。本体、キーボード、液晶表示、インパクトドットプリンタ、オーディオカセットがオールインワンとなっていて、なんとかこれで簡単な集計表を作成できました。

これが初めてのオールインワンシステムとの出会い。

SONY SMC-777(1983年)
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ソニーが1983年に発売したパーソナルコンピュータ

ブランド名 HiTBiT(ヒットビット)と呼ばれたSMC-777は、ホビー用パソコンにSONY FILERというCP/M互換のOS、3.5インチFD装置を標準搭載し当時としては画期的なマシンでした。スイッチを入れるとまずBasicのプロンプトが立ち上がる「PC=Basic時代」に、このマシンのおかげでOS(DOS)の概念やFDの構造が理解できるようになり、さらにLOGO、FORTRAN、COBOL、C、Pascalなどの言語の学習することができました。(ま、家族には「うちのタマ知りませんか」が一番ヒットしましたが…。)このSONY FILERを開発したBUGさんには、後に「NetEntrance」でもお世話になっています。

筐体は本体・キーボード一体型。ホビー向けを意識したためかテンキーは存在しない。他機種であればテンキーがあるべき箇所には3.5インチFDDが鎮座している。その手前に配置されたカーソルキーは、4方向のキーを1枚の方形パッドとし、四方を押し込む形式にしたジョイパッド型で、やはり如何にも「ホビー向け」を意識されるデザインとなっている。

これが初めての 3.5インチフロッピーディスクと DOS(CP/M) との出会い。

HITACHI PWS 2020(1985年)

80年代後半、従来の端末装置とパソコンの機能を統合したワークステーションとして開発された日立パーソナルワークステーション2020を利用してオフコンから抽出したデータを Office Pol にダウンロードして作表やグラフにするといった作業をすでに行っていましたが、すべてコマンドラインとマクロで処理していました。

後で気がついたんですが、このときすでに LAN を利用していたことになります。

Canon NAVI(1988年)
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スティーブ・ジョブズ氏に絶賛されたこの Canon NAVI はそのコンセプトが時代に早すぎて商業的に失敗しました。

キヤノン電子社長・酒巻久氏

――キヤノン時代の1988年に開発したパソコン「NAVI」はアップルを追われてネクスト・コンピューターを設立していたスティーブ・ジョブズ氏に絶賛された。

「NAVIはパソコンとワープロと電話とファクスを1台にまとめた。当時では先進的なタッチパネルを採用し、画面のアイコンを触れば電話をかけられた。残念ながら売れなかったが、米国では『こんな画期的な製品がなぜ日本で先に生まれたのか』と言われた。ジョブズ氏も驚いており、キヤノンが89年にネクストに出資した際は『NAVIを発展させた新しいコンピューターを一緒に作ろう』と話していた」

■NAVIが最初に「元に戻る」ボタン採用

――NAVIの画面には『元に戻る』ボタンが付いていた。「iPhone」の正面のボタンと同じ発想だ。

「あのボタンはNAVIが最初に搭載した。当時のパソコンはソフトウエアが暴走すると専門家でなければ元の状態に戻せなかったので素人が使えるようにボタンを付けた。その後iPhoneが採用した。あのボタンがあれば様々なアプリ(応用ソフト)を使ってもすぐ元に戻せる」

「iPhoneの登場まで日本メーカーはそうした発想を取り入れなかった。技術開発で一番大切なのは、孔子が論語で説いた『恕(じょ)』の精神だと思う。相手の立場に立って行動することだ。ジョブズ氏は米国で発売前だったiPhoneを私に2台送ってくれた。あのボタンを見て成功を確信した。iPhoneには使う人のことを考えた優しさがある。日本の携帯電話は説明書も分厚く過剰品質、過剰サービスと言える代物で、本質的でない部分に入り込んでいた」

――ジョブズ氏の製品開発手法でほかに注目すべきところは。

「これも論語の言葉で『温故知新』だ。ジョブズ氏の画期的な製品はアイデアとしては既にあったもの。私はネクストの取締役だった90年頃、IT(情報技術)ベンチャーの米ゴーが手掛けていたペン操作のコンピューター開発に協力していた。タブレット(多機能携帯端末)の原型だ。ジョブズ氏は『絶対に失敗する』と冷ややかだった。なぜだと聞くと『時代が早すぎる』と。実際、CPU(中央演算処理装置)の速度が遅く、メモリーも高価で成功しなかった」

「ジョブズ氏は機が熟したら自分で作ろうと考えていたはず。それが20年後にiPadになった。iPhoneの元に戻るボタンもそう。アップルのパソコンで一般的になったアイコンも元は米ゼロックスのパロアルト研究所の開発。古い物に種を見つけ命を吹き込んで現代に応用する。それが成功の要因だろう」

日経新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD26010_W2A121C1X11000/

この Canon NAVI を利用してホストデータを営業所に送ったり、営業所データを本社に送ってもらい表計算で自動集計するという簡易システムも構築していました。そしてこの NAVI ネットワークの成功で Macintosh SE/30 の購入を認められたのでした。

このとき気がついたのは、FAX機というのはスキャナとプリンタとモデムとが一体化されたもので、本来それらは単体で機能すべき。その間はデジタルデータとしてやりとりすることでかなり応用範囲が広がるということ。その想いを周りにいる人やメーカーのセールスマンに一生懸命話したのですがなかなか理解してもらえなかった記憶があります。今になって考えてみれば無理もないことで、分けの分からないことを言っている変なヤツと思われてもしかたがなかったでしょう。

これが初めての WAN、タッチパネルとの出会い。

そして1990年に「My First Mac」の Macintosh SE/30 を迎えることとなりました。

My First Sony

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「My First」といえばどうしても My First Sony (マイ・ファースト・ソニー) という商品群を思い出してしまいます。

1988年より販売された My First Sonyはソニーが1980年代後半に展開した子供向けのAV機器のブランド名です。子供向けながらその機能は本物と同様で、いわゆる外形だけを似せたおもちゃではありませんでした。こちらはこれから最初に出会うべきソニー製品といったところで、過去形ではなく未来形がテーマでした。

本日の一曲

AGE OF ECHOES – BETWEEN HEAVEN & EARTH

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