プルースト効果のあるラーメン_鳴子ダイエー物語 6

自分の記憶が正しいとはゆめ思うな、そして人のも。 …

ダイエーでも扱っていた昭和レトロなピエールカルダンのカップ。

私たちの経験は複雑に編み込まれたタペストリーのようになっているのですが、これは記憶に基づいて保存されているのではなさそうです。むしろ、スペースの関係で圧縮され、大事なポイントのみ、要約された形になっていたり、キーポイントの集約だったりします。

後日、その記憶をもっと詳しく思い出したくなったとき、脳は経験の集まったタペストリーを編み直すのですが、そのときに少しだけ記憶を偽造するようにできています。この偽造は実にスムーズに、自然に行われるので、私たちはあたかもそれが実際に経験したことで、細かいところまですべて頭に入っていたと思い込んでしまうのです。

科学的に偽りであることが証明された脳に関する9つの迷信 : ライフハッカー[日本版]

ということで、このブログに記載されていることも「少しだけ記憶を偽造」しているかもしれません。お許しあれ。

『寿がきや』

初めて「寿がきや」のラーメンを食べたのはいつの頃だったのか。ダイエー鳴子店か松坂屋ストアー鳴子店のどちらだったのか。

これが最近悩まされている問題。

マックスバリュとハローフーヅ_40年前の商戦再び

もともとあった「スーパー丸正」「緑センター」「名鉄ショッピ」に加えて1970年代の鳴子地区にはさまざまなショッピングセンターが進出しました。。

そのひとつに 1969年(昭和44)12月「ヤマナカ」の出店がありました。

開店当日は地元の人間がぞろぞろ。あちらこちらに友人の姿を見つけては「や、おまえも来ていたのか。」と声を掛けていたのを覚えています。また、屋上に遊具のあるスーパーなのも珍しかった。

Wikipedia では「ジャスコ鳴子店が開店。ヤマナカ鳴子店との共同店舗。衣料品を扱い、食料品はヤマナカが担当。」とジャスコの店舗のようになっていますが、当時は看板には「ヤマナカ」の文字しかありませんでしたから地元では「ヤマナカ鳴子店」と認識されていました。

さらに同じ Wikipedia の「過去に存在したジャスコの店舗」の項では「現在、跡地は建て替えてハローフーヅ鳴子店」と記述されていますが、これも間違い。現在その跡地には「宝マンション鳴子」が建っています。現在のハローフーズ鳴子店は道路一本挟んだ南側の空き地だったところ。その土地は鳴子団地ができて以来数十年ずっと空き地で不思議な場所でした。

来年の7月には取り壊された団地の跡地に「マックスバリュ鳴子店」が開店予定になっています。

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「マックスバリュ」はイオングループが展開するスーパー。そのイオングループの主力総合スーパーブランドだったのが「ジャスコ」。

一方「ハローフーズ」は今でこそコノミヤの運営するチェーンの名称となってしまいましたが、もともと鳴海にあった「スーパー丸正」を出身とする地元スーパーの雄。

40数年の歳月を経て地域を支配したダイエーが去り、鳴子団地再開発を契機として同じ組み合わせのスーパー同士の戦いが今ふたたび始まろうとしています。

(仮称)マックスバリュ鳴子店 広域図

この偶然写っている元気よく走っている女の子。現在は50歳近くになっているはず。現在どこでどうしていることでしょう。

ダイエーと松坂屋ストア どちらが先?

ヤマナカ鳴子店開店時点にはまだこの地域に「寿がきや」はありませんでした。

「寿がきや」のチェーンがあったのは、ダイエー鳴子店と松坂屋ストア鳴子店。

ダイエー鳴子店の1972年(昭和47)9月の開店は分かっているのですが、問題は「松坂屋ストア鳴子店」の開店日。ネットで『松坂屋ストア鳴子店』でいくら検索しても出てきません。

松坂屋ストアの社歴には、

1969年(昭和44) 3月 名古屋市昭和区に前山店を開設 10月 名古屋市千種区に本山店を開設。
1970年(昭和45)10月 名古屋市千種区に月見ヶ丘店を開設 10月 名古屋市名東区に藤が丘店を開設。
1976年(昭和51)11月 名古屋市名東区に本郷店を開設。
1982年(昭和57) 3月 名古屋市天白区に平針店を開設。

残念ながら現存する店舗だけの情報しかなく、鳴子店の開設については記載されていません。

寿がきやの社歴には、

1969年(昭和44) チェーン化第1号店。
1973年(昭和48) 直営店100店舗達成。
(別の社歴には1975年(昭和50年) 9月 第100号店開店とも書かれています。)
1978年(昭和53) 直営店200店舗達成。
1983年(昭和58) 直営店300店舗達成。

こちらも店名がでてくるのは初期の「寿がきや」、新名古屋ビル店、毎日ビル店、名鉄百貨店、豊田ビル店、名宝ビル店、新今池ビル店、柳橋ガーデンビル店ぐらいまでです。

おそらく「寿がきや」のチェーンが鳴子に出店されたのは1969年以降と想像するのですが、それがダイエー鳴子店、松坂屋ストア鳴子店のどちらが先だったのか。ただ中学生時代に同学年の仲間と食べた記憶がぼんやりあるので、松坂屋ストア鳴子店が初めてだったような気もします(ダイエー開店は高校2年)。

プルースト効果のある寿がきやラーメン

「寿がきや」については名古屋の皆さんはかなり思い入れがあるようで、ネットにたくさん書き込まれています。

スガキヤのラーメンは名古屋人にとってのソウルフードのようです。プルースト効果というか、あの味と香りで瞬間的に若い頃の思い出が呼び覚まされるでしょう。

食べログ_スガキヤ ダイエー鳴子店より

店舗

隣の『ペガサス』がなくなってから店が大きく拡張されていましたが、開店当時はちょうど入り口部分の間口しかありませんでした。

奥で大きく右カーブした白いカウンターテーブルと一段高くした床に回転椅子がぐるりと配置され、カウンターテーブルの通路をはさんだ壁際に奥に向けてテーブル席がいくつか並んでいました。

とくに印象に残っているのは、エンボス加工したピンクと白のストライプの壁紙。

どうみてもラーメン店の雰囲気ではありません。

もともと甘味の店としてスタート、社是を「女性に奉仕」として日本初の女性専門のラーメン店を開店したぐらいですから、 ピンクと白のストライプは女性専門としなくても、自然とおとなの男性客の入店を抑える効果があったのでしょう。

当時は男性客の多い店に入ることに女性は抵抗感があり、逆に男性も女性客の多い店には入りにくく、棲み分けができていました。

不二家とか資生堂パーラーなどスィーツ関連のお店はとくにでした。その後、男女共学が浸透し女性の社会進出が進むにつれてその境ははっきりしなくなります。

マクドナルドのハンバーガーとは大違い。

ダイエー鳴子店でアルバイトをしていた頃、ひと夏30日間ずっと昼食を寿がきやのラーメンで済ませていました。それでも飽きなくて体もおかしくなりませんでした。

そういえば、1日に3回、30日間、マクドナルドのファストフードだけを食べ続けたらどうなるかを記録したアメリカのドキュメンタリー映画がありましたっけ。


スーパーサイズ・ミー 2004年

生卵

また当時、後輩が寿がきやでバイトをしていましたので、たまに「サービスです。」と卵を数個多めに入れてくれました。当時の卵は半熟ではなく「生卵」でしたので、どんぶりいっぱいに盛られた生卵を啜りながらなんだか蛇になった気分だったのを思い出します。

価格

価格はラーメン一杯 80円。小刻みに値上げされて現在 290円。コンビニで売られている高級カップ麺と大差ない価格で、調理された出来立てを食べられるのですから相変わらず安いです。

イギリス経済専門誌「エコノミスト」によって考案された購買力平価説を元に為替相場を推理する際の一つの指標に、世界各国のマクドナルドで販売されているビッグマック1個当たりの価格を比較する「ビッグマック指数(Big Mac Index)」がありますが、寿がきやのラーメン価格は東海地区の庶民の物価指数推移の指標になるかもしれません。

世界のビッグマック価格ランキング

マヨネーズ

発祥といわれる冷やし中華にマヨネーズを添えるスタイルの冷やしラーメン。

考えてみればラーメンとソフトクリームの組み合わせを売り物としているのですから、ラーメンとマヨネーズの組み合わせを発想するのは自然かも知れません。それにすでに家ではインスタントラーメンをマヨネーズを挟んだ食パンで食べていましたし、さらにはそこに納豆も挟んでいましたっけ。

そして名物のソフトクリーム。

残念ながら、今もって一度も食べたことがないのです。


今日の一曲。

このフィリー・サウンドから70年代後半のディスコ・フィーバーの時代が近づいてきました。


The O’Jays – Back Stabbers(1972年)

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