最後の言葉は「OH WOW. OH WOW. OH WOW.」

ジョブズの最後の言葉。そこに込められた想いは誰も知る由はありません。 …



Eva Cassidy – Fields of Gold

モナ・シンプソンの追悼文

「スティーブ・ジョブズの妹モナ・シンプソンの追悼文」がニューヨークタイムスに掲載されました。
実の妹の目から見た兄、スティーブの姿はリアルで目に浮かぶようです。

A Sister’s Eulogy for Steve Jobs_The NewYork Times

私はシングルマザーのひとりっ子として育ちました。家は貧しく、父親はシリアからの移民だと聞いてオマール・シャリーフみたいな人を想像していたものです。

『アラビアのロレンス』のベドウィン族長アリ_オマール・シャリーフ

健康保険を買え買え上司にうるさくせっつくカリフォルニア出の中流の小娘の私のもとに、ある日、弁護士から電話がかかってきて、「依頼主はお金持ちの有名人で、長年消息が途絶えているあなたのお兄様なんですよ」と伝えたもんだから若い編集者たちはエエーッと上ヘ下への大騒ぎとなりました。

弁護士は兄の実名を告げるのを拒みました。そこで同僚たちの間でさっそく賭けが始まりました。一番の有力候補は、ジョン・トラボルタ。

いざ会ってみたらスティーブはジーンズ穿いた同年代のヤツではないですか。アラブ系かユダヤ系っぽい風貌の、オマール・シャリーフよりはハンサム君でした。

2つ違いでは当然なのですが、「同年代のヤツ」というところがほほえましくていいですね。初めて兄と会う妹の気持ちとしては、やはりハンサムな兄貴を期待していたのでしょう。

彼の美の哲学を思うとき心に浮かぶのはこんな言葉です。「ファッションは今は美しくても、やがて醜く見えてしまう。アートは最初醜くとも、やがて美しくなる」

かってはアパレルの末席に身を置きながら同時に芸術を愛したものとしては「その通り、ごもっとも。」

何事かと思って覗いてみたらなんのことはない、お医者様の言いつけを破っていいから、氷を1個くれ、とあったのです。

私たちもみな —結局最後は—  突然に死ぬのです。ストーリーの途中で。そして死んだ人の数だけストーリーは無数にあります。

愛しむような優しい声でしたが、まるで荷物を車に縛りつけて、もう旅の始まりに着いてしまった人のような気がしました。兄は、すまん、みんなを残して先にいってしまうなんて本当に心の底からすまん、と言いました。

旅立つ前、スティーブは妹のPattyを見て、子どもたちをずっと長いこと見つめ、人生の伴侶ローリーンを見ると、みんなの肩の向こうを見て、最後にこう言ったのです。

「OH WOW. OH WOW. OH WOW」

無為に人生を送りつつある自分もストーリーの途中で突然に死ぬことでしょう。
そのときどのような言葉を発するのでしょう。

スティーブ・ジョブズの妹モナ・シンプソンの追悼文


1955年に生まれて

AERA の11月 7日号にジョブズと「55年世代」というタイトルの特集が掲載されています。

やっと1955年生まれ世代にスポットライトがあたりました。

過去のブログから

PC世界でのXデーを考えるとエポックメーカーあるいはパラダイムシフターとしての意味で、やはりスティーブ・ジョブズ氏がいなくなる日ではないでしょうか。

いまから 4年以上前になる2007年 2月の「SUDAREの部屋」ブログの一節です。

なぜこの時期にこんなブログを書いたのかは記憶にありません。ただこの時期に集中して「1955年」世代について書いていたことは確かです。

他の世代からは団塊の世代と同一視あるいは無視される世代としての苛立があったのかもしれません。マイノリティのため忘れ去らているのが悔しく、団塊の世代とは相容れない世代間ギャップと新しい時代の先駆者であることをなんとか主張したかったのかもしれません。

ということでスティーブ・ジョブズの誕生日を調べてみました。

1955年2月24日
(これはほんとうに偶然なのですが、なんとこのブログを書いている日でした。)

つまりジョブズは自分と同い年でした。そのほかの1955年生まれを調べてみれば

ビル・ゲイツ/ケビン・コスナー/ブルース・ウィリス/所ジョージ/鳥山明

さらに前後には

1954年 ジャッキー・チェン/坂崎幸之助/大友克洋
1956年 ケビン・コスナー/メル・ギブソン/桑田佳祐/江口寿史/田中康夫

うまくいけば自分の死と同じ頃にXデーなので心配することはなさそうです…。

そのジョブズ氏が先頭を切って逝ってしまいました。

さらに最近のブログにもこんなことも書き散らしていました。

日本の「1955年に生まれて」は、その後の日本のカルチャーに大きな影響を与えていますが、アメリカの「1955年に生まれて」はもっとすごいですね。武力を使わずに世界中の仕組みを変える方法を発明してしまいました。これがなければ、世界がフラット化することもなかったでしょうし、「リーマンショック」もなかったかもしれません。

IT業界における最も偉大な10人のうち上位4名が「1955年に生まれて」なのです。

1. Steve Jobs(Apple)
2. Tim Berners-Lee (Web の発明者)
3. Bill Gates(Microsoft)
4. James Gosling(Java の生みの親)

国運40年周期説

2011年12月 4日からスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第3部「激闘完結」編が始まります。「旅順総攻撃」「二〇三高地」や「日本海海戦」など、いよいよクライマックスを迎えます。

『1985年』(吉崎達彦)という本の第1章の冒頭に「日本の国運における40年周期説」が掲げられています。

①1868年から1904年(明治維新から日露戦争まで)上り坂
②1905年から1945年(日露戦争から第二次世界大戦の終戦まで)下り坂
③1946年から1985年(戦後からプラザ合意まで)上り坂
④1986年から2025年まで?(バブル経済から???)下り坂

近代日本の第一回目の上り坂は、1868年生まれの秋山好古・真之の青春時代そのものであるかのようで、ゆえに「坂の上の雲」は多難ですが若者には夢多き時代として懐古され共感を呼ぶのしょうか。

そして真之は、山下亀三郎に「世話になった」と礼をいい「後を頼む」が最後の言葉となり、好古は死ぬとき「馬曳けーっ」といって逝きました。

秋山兄弟ー秋山好古・秋山真之の最後の言葉

1955年世代

そして近代日本の第二回目の上り坂に、戦後の混乱期の影響を受けた団塊の世代とは違う、新しい価値観を持って高度経済成長時代に青春時代を送った世代の先頭が「1955年」世代なのです。

その後「山口百恵の引退と松田聖子の登場」という象徴的な時代の変わり目の予兆から、1985年「プラザ合意」で円高がはじまり、バブル経済の崩壊、「失われた20年」ともいわれるデフレ時代を過したあいだにも、その新しい価値観で新しい分野を続く世代とともに成長させてきました。

1950年~1964年生まれのこの世代に最も特徴的なのが「IT」と「マンガ」「アニメ」「ゲーム」のクリエーターを多く輩出していることですが、なかでも特異なのは1955年生まれには IT 関連が集中しているということでしょう。

世界の IT業界における最も偉大な10人のうち上位 4名が「1955年に生まれて」なのは先にふれましたが、日本でも村井純、成毛 眞が1955年生まれです。近いところでは西 和彦(1956)樋口泰行(1957)と続きます。

とはいえ、すでにリタイアの時期が近づきつつある年代ですので、ジョブズ氏の死去とともに自分の時代の終わりをそれとなく悟った方々もいるもではないでしょうか。そしてこれからは若い後継を育てることに注力しようとはっきり自覚したかもしれません。

ただ問題は、その若い後継者達が近代日本の第二回目の「下り坂」に育った世代ということです。

全く違った青春期の体験の持ち主であるということです。

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