ホピ族とミニマル・ミュージック

不思議なもので、何故だか理由が分からないのですが気になったことが、後日、次第に繋がり始めることはよくあります。 …



Mari Boine – Gula Gula Chilluminati Video

サーミ人とアメリカ・インディアン

ブログ「天女新世紀 その2」で紹介したビデオ「Naid Interview part2」で語られている

”NAID means Shamman is actually the Shamman of the Sami people who ara like the North American”

と言う言葉がきっかけで、ノルウェー北部に居住するサーミ人について調べていて、最初に見つけたマリ・ボイネのクリップです。

なんとなく気になってYouTube のお気に入りに残しておいたのですが、きのう観た TV 番組「ザ☆スター」にヒントがありました。


ミニマル・ミュージックと久石譲

ザ☆スター

 

作曲家・久石譲。懐かしいけれど古くさくはない不思議な魅力の音楽で、人々の心をとらえ続けてきた。若かりしころは現代音楽を手がけ、芸術性を追求していたが、宮崎駿と出会い、「風の谷のナウシカ」の音楽を担当して、映画音楽作家として注目を集めた。久石の音楽は、なぜ心の琴線に触れるのか? これからどこへ向かうのか? 関係者の証言や養老孟司さんとのトーク、平原綾香などとのライブ演奏を交え、その神髄に迫る。
久石譲, 【司会】別所哲也、佐藤夕美子、永井伸一【ゲスト】李相日、平原綾香、養老孟司、操上和美、本木雅弘、鈴木敏夫

ザ☆スター

この番組のうち、登場者でミスキャストだったのは、別所哲也、平原綾香。このふたりを外すともっといい番組構成になったのに。とくに平原綾香の声質は久石譲氏の曲とは相容れません。

『となりのトトロ』の「となりのトトロ」井上あずみ、『耳をすませば』の「カントリー・ロード」 本名陽子、『魔女の宅急便』の「やさしさに包まれたなら」 荒井由実、『紅の豚』の「時には昔の話を」 加藤登紀子、『千と千尋の神隠し』の「いのちの名前」木村弓、「神々さま」おおたか静流などの名唱があるのに、なぜ平原綾香をピックアップするのでしょうか。

 

宮崎駿監督による劇場長編アニメーション『風の谷のナウシカ』の音楽を担当。この作品の音楽は当初、細野晴臣が手掛ける予定だったが、映画のイメージと合わないという理由で宮崎と高畑勲が採用を取りやめ、イメージアルバムを手掛けた久石が代打として本編にも起用された。

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それは、宮崎駿先生の世界観を通した久石譲氏の曲のイメージと、久石譲氏の自身の曲に対するイメージにおけるギャップなのでしょう。

不思議なことに久石譲氏の曲が好きで、彼のアレンジした原曲を手に入れても、結局元のサウンドトラック版を聴いてしまいます。

彼のオリジナル作品も同様で、純粋に楽曲として聴く時、どんなにアレンジに手の込んだことをしていても、何となく物足りなさを感じてしまいます。あの有名な「久石譲in武道館〜宮崎アニメと共に歩んだ25年間〜」の放送も途中で飽きてしまい、気分転換に宮崎アニメを見始めてしまいました。

つまり彼の曲は客の邪魔にならない演奏、家具のように存在している音楽、『家具の音楽』なのでしょう。家具はあくまでも家具であるときに最高に輝くのです。


ミニマル・ミュージック

とはいえ、参考になったのは、彼が国立音楽大学在籍時にミニマル・ミュージックに出会い影響を受け、現代音楽の作曲家として活動を開始して、テリー・ライリーやフィリップ・グラスといった世界的なミニマル・ミュージック作曲家の楽譜分析を始めたことを知ったことでした。

なるほど、ここでやっとマリ・ボイネと繋がり始めます。


コヤニスカッツィ

冒頭の『Gula Gula Chilluminati Video』を観ていて思い出した映画があります。

1982年製作のドキュメンタリー映画、『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』です。
これは公開当時、かなり話題になりました。


koyaanisqatsi

 

監督はゴッドフリー・レッジョ、ミニマリスト作曲家のフィリップ・グラスが音楽を担当。撮影ロン・フリッケ。スローモーションと微速度撮影(低速度撮影)の映像を取り入れ、アメリカ国内の都市風景と自然景観で構成された作品。 この作品にはナレーションや台詞が一切挿入されず、一連の映像とバックに流れる音楽の提示という形式で統一されている。

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このブログでも紹介しています「ハイパーリアリズム」や「時を超えた自然の叙事詩」に繋がっていく好きな映像表現の最初の映画です。

またタイトルの「コヤニスカッツィ」とは、ホピの言葉で「常軌を逸し、混乱した生活。平衡を失った世界」(life of moral corruption and turmoil, life out of balance)の意味で、作中に映し出される現代人の生活様式への言及だそうです。

このときはじめてアメリカ・インディアンの部族のひとつホピ族(Hopi)という名を知りました。


ホピ族

『コヤニスカッツィ』以降「ホピ」は、ときどき話題にのぼるようになります。


(Part 1) Indigenous Native American Prophecy (Elders Speak part 1)

 

ホピの予言
マヤ文明の末裔とされ、神に導かれ現在の地にやってきたのが1000年前のこととされる。「ホピの予言」として、神からの様々な預言を伝承している。 現在から未来にかけての予言は「世界は今物質への強欲のためにバランスを失っており、このままでは世界は終わる。」という警告であった。正しい道を選べば発展の道が残されているという。2012年に人類の滅亡がうたわれたきっかけはこの予言なのだがこの部分をホピ族は全く発言していない。

2012年人類滅亡説
マヤの長期暦は2012年の冬至付近で終わるとされ、その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言も成就する、フォトンベルトに突入する時期としているものが多い。

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ノストラダムスの大予言

1973年の五島勉による『ノストラダムスの大予言』は、オイルショックや公害問題の顕在化による社会不安を背景に大ベストセラーとなり、映画化もされましたが、1999年が近づくと13年ほど延期され、『ホピの予言』が本命と言うことになりました。


パワーかフォースか

2004年に、デービッド・ホーキング博士著『パワーかフォースか』でホピ族の意識レベル平均値は日本人と同じと。

2009年に映画『2012』が古代マヤ人が2012年の冬至ごろに訪れると予想した人類滅亡に関する幾つかの仮説を元に製作されました。アメリカ中心のハリウッド的ワンパターン大スペクタルで「またか」という気がします。ヒットしたのでしょうか。


ミニマル・ミュージックとの出会い

『コヤニスカッツィ』の音楽はフィリップ・グラスが担当しています。

 

音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽。1960年代から盛んになった。単にミニマルと呼ばれることもある。 あくまで単純な反復のリズムがメインであり、曲として成り立つ最低限度に近いほど、展開も少ない。しかしそれらの中での微細な変化を聞き取るのが目的であり、全体的な視点から見れば決して無駄な反復ではなく、音楽は徐々に展開していると言える。 音楽にそれほど詳しくない者でも、「ゴジラのテーマ」といえばおおよその想像は付くであろう。

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いまから考えれば、このミニマル・ミュージックにつながる体験が幼少の頃から身近にあったことは意外です。

  • 小学生の頃熱中した映画伊福部 昭の『ゴジラ』のテーマ曲。
  • 中学校で音楽の時間に聴いた、モーリス・ラヴェルのバレエ音楽『ボレロ』。
  • 中学生の頃『2001年宇宙の旅』のサウンドトラックを探していて偶然であった、グスターヴ・ホルストの『惑星』。
  • 高校時代に友人の家でこれはいい曲だと聴かされ感動した、モーリス・ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』。
  • CTI レーベルに凝っていた大学生の頃のヒューバート・ロウズ(Hubert Laws )のクロード・ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』。
  • レコード屋のアルバイト先で見つけたテリー・ライリー (Terry Riley)の『A Rainbow in Curved Air』。


Terry Riley: A Rainbow in Curved Air

エリック・サティと出会ったのは意外と遅く、20歳を過ぎ、社会人になってからです。現在はわかりませんが、当時は印象派の音楽は学校で教えていなかったと記憶します。美術における近代デザイン史も同様です。

パルコ出版が『アールヌーボー』『アールデコ』などのデザイン史を掘り起こしていたこの頃、音楽でも知られざる作曲家が紹介され始め、そのなかにエリック・サティがいました。『オジーヴ』『ジムノペディ』『グノシエンヌ』などの名曲に感動し、当時関わっていたアパレル会社のファッションブランドとして商標登録したくらいです。

 

ジムノペディ
日本では、戦前に早坂文雄と共にサティ作品の演奏・紹介に努めていた伊福部昭が、1951年に著した「音楽入門―音楽鑑賞の立場」において『人類が生みえたことを神に誇ってもよいほどの傑作』と絶賛していたが、当時は曲自体ほとんど知られることは無かった。1975年に開館した西武美術館において、それまでタブーとされていた美術館内での環境音楽として使用され、この曲が多くに認知されるようになった。

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フィリップ・グラス(Philip Glass)。やはり、『コヤニスカッツィ』でしょう。当然スティーヴ・ライヒも聴いていたはずですが、曲名は思い出せません。

この流れの延長線上にアンビエント音楽もあります。そこにはブライアン・イーノ、マイケル・ナイマン、タンジェリン・ドリームなどの名前が浮かび上がり、1990年のKLFのアンビエントアルバム『Chill Out』。そしてチルアウトと似て非なるニューエイジ・ミュージック。

ミニマル・ミュージックと民族音楽

 

ミニマル・ミュージックは発想の原点こそテープループという機械的技術から生まれたものだが、ヨーロッパおよびその他いろいろな地域(特にアフリカや東南アジア)の伝統音楽には反復の要素が多く見られ、音楽的な発想としては昔から多くの民族において認知されている語法だと言える。

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サーミ人のヨイク


映画『サーミの血』予告編(2017年)

どの国家や文化にも支配民族による少数民族の差別や排除の歴史が見られます。ヨーロッパの国々も例外ではありません。この映画には、そんな差別と偏見が強かった1930年代のスウェーデンを舞台に、サーミ人の少女の生き方が描かれています。

 

ヨイクを構成する詩の言葉は、極度に省略、簡略化された特別の言葉、あるいは象徴的なイメージ群からなっているのである。そのため、サーミ人の自然に対する視点や生活、感性を共有しない非サーミ人にとって、ヨイクをそのままに理解することはほぼ不可能といっていいだろう。ヨイクは子音と母音の組み合わせから成り、歌い手はそれを慎重に選択、配列することによって、一言に膨大な情報を持たせるのである。

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えみし

昔、日本にも大和朝廷により征服・吸収されていった部族がありました。彼らも独自の自然に対する視点や生活を持ち、歌があったことでしょう。

 

古代の蝦夷(えみし)は、本州東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指した。統一した政治勢力をなさず、積極的に朝廷に接近する集団もあれば、敵対した集団もあったと考えられている。しかし、次第に国力を増大させていく大和朝廷により、征服・吸収されていった。蝦夷と呼ばれた集団の一部は中世の蝦夷(えぞ)、すなわちアイヌにつながり、一部は和人につながったと考えられている。 ただし、蝦夷(えみし)と蝦夷(えぞ)は、別ものである。

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もののけ姫(1997年)

しかし、自分も50年ものあいだ繰り返し音楽の流れをまったりと漂っていたのですね。

そしてこれからも漂い続けるのでしょう。


本日の一曲


Bright Star – Moya Brennan 720p HD

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