ゲゲゲの女房_水木マンガ談義

最近『おしん』以来27年ぶりで「朝の連続テレビドラマ」を「夜」観てます。

ゲゲゲの女房

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3月29日の初回は14.8%。これは集計を始めた1964年以降、初回としては過去最低。ところが、4月5日以降、徐々に数字は伸び、同12日には最高の18.2%をマーク。朝ドラが一切職を持たない専業主婦を主人公にするのは「30年以上前にさかのぼる」そうです。

7歳の菊池和澄、10歳の佐藤未来、と昭和ぽくってなかなかいけるなと思っていたところ、松下奈緒。リアル昭和世代からみるとイメージが違い、やはり NHKの連続ドラマらしい、いつものちょっと外したキャスティングですね。かっての『のんのんばあ』に比べると中途半端な感が否めません。それに古くレトロに見せかけた昭和の小道具を並べるのもおかしな話で、当時はもっと現役品で輝いていたはずです。そんなこんなでドラマ演出としては不満はありますが、ストーリー的には水木先生の半生記でもあるだけに、大変興味深く観ています。

そして、第42回。とうとう深沢洋一として長井勝一氏が登場しました。この長井氏こそが『ガロ』の創刊者。これからおもしろくなりそうです。

もうひとつの『ガロ』ファン世代

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遅れてきた世代である『1955年に生まれて』は一般に語られる団塊の世代とは違った『ガロ』読者などです。

三洋社を前身として『青林堂』が設立され、1964年に『月刊漫画ガロ』を創刊。『ガロ』はもともと白土の『カムイ伝』のために創刊されました。

しかし、自分が実際に読み出したのは、71年に『カムイ伝』が終了して、売上が徐々に下降線をたどるようになっていた1973年から。

ですから、白土三平は『ガロ』では読んでいません。1982年以降の『ビッグコミック』で『カムイ外伝 第二部』『カムイ伝 第二部』を読んでいます。

この頃の『ガロ』は大変おもしろく、実に多彩な執筆陣が記憶に残っています。

水木しげる
つげ義春
林静一
つげ忠男
辰巳ヨシヒロ
佐々木マキ
花輪和一

赤瀬川原平
荒木経惟
岩本久則

安部慎一
鈴木翁二
古川益三

川崎ゆきお
渡辺和博
糸井重里
蛭子能収

杉浦日向子
近藤ようこ
やまだ紫

最初のTVアニメ世代

『1955年に生まれて』世代は最初のTVアニメ世代でもあります。そこはファンタジーの万華鏡でした。

1955年に高度成長が始まり、1985年に日本人が本質を見失って変質を始めるまでの30年間の黄金期のきらめきです。

自分のアニメ履歴。

1963年
『鉄腕アトム』『鉄人28号』『エイトマン』『狼少年ケン』

1964年
『少年忍者風のフジ丸』『ビッグX』

1965年
『スーパージェッター』『宇宙少年ソラン』『遊星少年パピイ』『W3』『オバケのQ太郎』

1966年
『ハリスの旋風』『魔法使いサリー』

1967年
『悟空の大冒険』『パーマン』『リボンの騎士』

1968年
『ゲゲゲの鬼太郎』『巨人の星』『妖怪人間ベム』

1969年
『サザエさん』『ハクション大魔王』『アタックNo.1』

虫プロの作品は4本しかありません。もともとディズニー映画は何度観てもおもしろくなかったので、その延長線上にある虫プロも同様でした。まあ、喜んでいたのは幼稚園児から小学校低学年まででしょう。いまでもマスコミに「マンガの神様」といった形容で手塚治虫が紹介されますが、「本当かな」と思ったりします。

どちらかと言えば、その作品より漫画というものをマンガという大衆文化に広げるきっかけをつくった功績のほうが大きいのではないでしょうか。

宮崎は手塚の漫画史における重要性を強調しつつ「だけどアニメーションに関しては(略)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです」と述べ、スタッフに過酷な労働を強いる制作環境や組織に対する意識の低さを批判した。手塚のアシスタントであった石坂啓は「先生、悔しくて仕方なかったんでしょうね」と述べています。
宮崎 駿

 

リアルな内容のマンガとの出会い。

1963年『サブマリン707』の連載開始。

初めての本格的潜水艦漫画で、用語解説記事などが書かれていました。絵の描写としては手塚系なのですが、ある意味、内容にリアルさを持ち込んだ初めてのマンガだったと思います。

65年にはプラモデルも発売され、一世を風靡。最初に手に入れた小型潜航艇「707ジュニア」はゴム動力でしたが、最後にはがんばって電動を手に入れた憶えがあります。そうそう、確かこの頃、マブチモーターが「水中モーター」を発売しましたっけ。

当時のプラモ小僧は、小刀、セメダイン、マブチモーターが三種の神器で、モーターにギアを金槌で打ち込むときは、ちょっとした職人気分を味わったものです。

このあたりで、やがて来る少年誌の劇画マンガ時代の種がまかれ始めたのでしょう。

リアルな表現の貸本漫画との出会い。

すでに身近には貸本屋というものはありませんでしたが、貸本漫画との意外な接点がまだ残っていました。

それは「床屋」さん。

60年代になっても床屋には大量の貸本漫画があり、散髪を終えてからも待席で読み続け、一度に10冊程度は読んでいました。これは今でもその床屋のご主人との笑い話になっています。

内容は大人向けなので小学生では理解できないストーリーもあったのですが、とにかく驚いたのは、少年誌ではけっしてお目にかかる事のできない描写表現です。描き込みの多い漫画は、絵だけで想像世界を広げてくれました。

そこで出会った作家は、白土三平/小島剛夕/さいとう・たかを/佐藤まさあき/池上遼一など。

「床屋さん」で過ぎ去った貸本漫画時代にタイムスリップしていた訳ですね。

そして、劇画作家の少年誌進出。

待ちに待った、劇画の少年誌進出。

1966年に『悪魔くん』『巨人の星』『へび少女』、1967年『墓場の鬼太郎』『無用ノ介』『ルパン三世』、1968年に『明日のジョー』が連載開始されました。

ちょうど、小学生高学年から中学生の時期ですね。飛雄馬の投げた大リーグボールが3週間ぐらいかかってミットに収まるのをワクワクして読んでいました。

手塚治虫は劇画ブームが起こった当時強い焦燥感を覚えており、『巨人の星』に対し「この漫画のどこが面白いんだ、教えてくれ」とスタッフに泣くように訴えたそうですが、もしそうであれば、すでにこの時期手塚マンガは、少年誌の読者が求める感覚と乖離していたのでしょう。

キューブリックは1965年に制作を開始した「2001年宇宙の旅」の美術担当として漫画家の手塚治虫の協力を仰いだが、手塚治虫は多忙を理由にオファーを断った有名な逸話がありますが、その結果すばらしいビジュアル作品に仕上がったのは納得できます。

魅力は点描が非常に多い濃厚な背景

少年誌から水木しげるの世界に入ったものとしては、銅版画を思わせる絵画的な背景がいちばんの魅力だったのですが、これは逆説的で、少年誌に連載を始めて、初めてまともな原稿料が入るようになり、アシスタントを多数使えるようになったために描けるようになったそうです。

これが後年、過去の作品を遡っても「絵画的な背景」にはお目にかかれなかった理由でした。やはりすばらしいものにはそれなりのお金がかかるという事ですね。

しかし、この手法は「一コマ漫画」と似て非なる、そのページだけ成立していて、後の「水木しげるの妖怪事典」シリーズのように画集としても成り立つ要素を持っていました。実はこれを観て、絵画的マンガ家を目指そうとした時期もありました。

NHKで『ゲゲゲの女房』続編で、『ガロの女房』なんて企画はいかがでしょうか。

 


付録:過去ログメモ


公開日:2007/08/13 18:35
妖怪談義にビックニュース

このところTVで水木しげる先生を観る機会が増えています。

8月11日(土)
妖怪!水木しげるのゲゲゲ幸福論 お化けを訪ねる南の島の旅(再放送)

8月12日(日)
NHK「鬼太郎が見た玉砕」

お盆の時期、定番といえた「東海道四谷怪談」「怪談かさねが渕」「牡丹燈籠」「鍋島化け猫騒動」を観れなくなって久しくなります。

これは夏季恒例だった映画館の「納涼怪談まつり」を引き継いだ、深夜TVのお盆定番映画でしたが、いつしか無くなってしまいました。残念ながら最近のホラー映画「女優霊」「リング」「らせん」「呪怨」を観てもちっとも怖くありません。「リング」貞子がTVから出てくるシーンなんかは、つい水木しげる先生の「テレビくん(1965)」を思い出して笑ってしまいました。

きっと恐怖の対象が違うのでしょう。死者の激しい無念の情念が引き起こす「あらぶる魂」の恐怖と鎮魂の儀式、つまり古来日本人の持つ自然への畏怖感が呼び起こされないのでしょう。

そんな時代に世代を超えて感性を共有できる「妖怪」の権威、水木しげる先生の登場にはほっとします。

げげげ通信
水木しげる記念館

 

そんな妖怪談義にビックニュースが登場しました。

ゲゲゲの「ぬりかべ」、こんな姿?江戸期の絵巻に登場水木さんは「絵巻のぬりかべには荒々しく力強い妖怪の息吹が表れています」と印象を語る。

「ぬりかべ」は三つ目のブルドックといったところでしょうか。なんでこれが「ぬりかべ」なのでしょうか。江戸時代の「ぬりかべ」の意味は現在とは違うのでしょうか。う~ん分かりません。(ちなみに「悪魔くん」の百目から目玉を97個除けば「ぬりかべ」そっくりになります。)


公開日:2007/03/22 00:00
インターナショナル・コミックス・フェスティバル

少々遅れましたが、祝、水木しげる先生。

フランスのアングレームで開かれたヨーロッパ最大のコミックスのイベント「第33回インターナショナル・コミックス・フェスティバル」で初めて、日本人のマンガ家水木しげる氏の『のんのんばあとオレ』がベストコミック賞を受賞したそうです。

『のんのんばあとオレ』は水木先生の自伝的漫画で、NHKで1991年に『のんのんばあとオレ』1992年に『続・のんのんばあとオレ』としてテレビドラマ化されています。このドラマには妖怪たちも出てきますが、扱いが2次元的で原作の雰囲気を忠実に表現していました。録画ビデオは保存版として大切にしています。

妖怪たちの表現といえば、大映の妖怪三部作『妖怪大戦争』(1968年)『妖怪百物語』(1968年)『東海道お化け道中』(1969年)はすべて観に行っていますが、あの頃はすべて特撮で妖怪たちが描かれており、その人間豊かなキャラクタがなんとも魅力的でした。

最近の『妖怪大戦争』(2005年)『ゲゲゲの鬼太郎』(2007年)はCGで妖怪が描かれたり実写の俳優たちの演技不足もあって、妖怪たちの持つ独特の雰囲気が表現しきれていません。往年の妖怪ファンとしては残念で、水木しげる、荒俣宏の両先生方にはもっとがんばって欲しかった。ほんとうの妖怪たちが泣いていますよ。(しかし、妖怪たちは生きているものたちの写し絵ですから、これが「いま」を生ける人々の実体かも知れません。)

しかし、キャラクターがパターン化した現在のコミックの方が分かりやすいのに、非常に土着的で個性的な水木しげる先生の画風をなぜフランス人が理解できるのか不思議です。事情通の娘に言わせるとフランス人はマンガおたくが多いそうです。(水木しげるの作品はけっして「おたく」的ではありません。日本で育った人が共通に持つこころの原風景です。)


公開日:2007/02/18 19:34
梅は咲いたか

昔から梅が好きで桜の花見より楽しみです。梅林は昔は少なかったので探すのに苦労したのですが、都市近郊農地で節税対策用梅林が増え、来園者の高齢化の影響なのか植物園で梅林を呼び物にするところが多くなってけっこう増えました。

この梅林趣味はけっして水墨画に傾倒したからではなく、小学生の時に読んだ「水木しげる」の「幸せの甘き香り」(1965.05ガロ)の影響です。ねずみ男が梅林の中でなまけものの農民にうたかたの夢を見させて目を覚まさせようとするといったような内容ですが、その舞台背景となった梅林の醸し出す雰囲気に一種の桃源郷を見てしまったのです。

それ以来、2月になり陽光にかすかな春を感じるとともに梅の開花を楽しみに待つのが習いとなっています。

最近では「枝垂れ梅」なんかがもてはやされているようですが、やはり梅林には尾形光琳の「紅白梅図」に描かれているような枝ぶりの梅が相応しい。

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