システム屋と時間の矢

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時間の矢

「システム屋」という言葉に引っ掛かりを感じてネットで調べているうちに

最近、私はグールドの「時間の矢 時間の環(地質学的時間をめぐる神話と隠喩)」という本を読んだ。

「矢と環」は人類の「永遠の隠喩」だと彼は言う。「矢と環」に二極化分類する二分法の欠点を踏まえながらも、「矢と環」はもっとも実りの多い二分法であると主張する。私もそう思う。「構造主義と機能主義」「データベース屋とプログラム屋」なども「矢と環」という「永遠の隠喩」に対応しているのかもしれない。

 複雑性を解き明かそうとするとき、必ず「矢と環」の二分法が現われ、それらのせめぎ合いが起こり、力を合わせる。

実は「オブジェクト指向」も「構造主義と機能主義」「データベース屋とプログラム屋」「相同と相似」「濾過と試行錯誤」がせめぎ合い、力を合わせたソフトウェア開発方法論である。90年代後半には、「オブジェクト指向」は常識と化し、インフラストラクチャ(下部構造)となり、取り立てて「オブジェクト指向」と言わなくてもよくなる。業界から「オブジェクト指向」というキーワードが消えるのかもしれない。

 「矢と環」を踏まえて「造化のこころ(日本の自然と美のかたち)」や「和風探索(にっぽん道具考)」などの和風を語る本を読むと、なんと昔の日本人はこの「永遠の隠喩」をうまく表現してきたのだろうと思う。

四季の捉え方、一時(いっとき)の考え方、障子(トワイライト)、箸(はし)、風呂敷(ふろしき)などは好例である。なぜ、私達(現代日本人)は「用の美」などの「和風(永遠の隠喩)」を忘れてしまったのだろう。もともと私達は「オブジェクト指向」に長けた人種(民族)だったのではないだろうか。

という一文を見つけ、バグフィックスや小手先のテクニックの追求に明け暮れる毎日の中で、いつの頃からか思考停止している自分に気付かされました。

松岡正剛の千夜千冊

さらに「時間の矢」を検索してみると「松岡正剛の千夜千冊」に行き着いたのです。

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松岡正剛、そういえば学生の頃、工作舎の雑誌を読みあさっていた。

あのSF小説『ニューロマンサー』もおかげで完読でき、コンピュータとネットの未来世界に夢と希望をもって飛び込むことができました。

千夜千冊0062夜 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』

Web2.0

最近の話題は Web2.0 とか騒がしいわけですが、単に遅れている Web の機能がすこし OS に近づいた程度のこと、あまり目新しいことでもありません。しかし、その裏で意図された Google のチャレンジ

すべての事象をデータベース化し、共有化したとき、巨大な集合知はいったい何を起こすのか。

「データベース屋」としてここをじっくり考えたくなりました。

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